映画で知るボスニア紛争 悲劇と葛藤を超える母娘のストーリー

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後のある小学校の様子(1997年撮影、Getty Images)


なかなか証明書を取りに行かないばかりか、明け方、男に送ってもらっている母に、サラはだんだん不安になる。

「自分はパパに似ているか?」という問いに、髪の色は似ているという答えを貰い、思わずこぼれる笑みはあどけない。「ママは結婚しないで」というサラの言葉には、英雄として死んだ見知らぬ自分の父への敬愛の念が滲んでいる。

すっかり仲良しになったサミルと、戦争の傷跡もなまなましい廃墟に侵入し、サミルの父の遺品であるピストルを試し討ちする場面で、サラが幻視していたのは父を殺した敵かもしれない。

何か秘密を抱えているらしい母エスマと、母の振る舞いが今ひとつ腑に落ちない娘サラ。どうして父の証明書を取ってくれないのか、母は父のことを忘れたいのか……。

エスマがサラに秘密を告げた後

ギクシャクし出した関係は、ある日壮絶な親子喧嘩に発展し、激高したサラはサミルから借りたピストルを持ち出して、「本当のことを言って!」とエスマを問いつめる。

娘の態度に我を忘れ半ば狂乱状態になった母からサラが聞かされたのは、父はシャヒードなどではないという衝撃の事実だった。戦争中、エスマは収容所で連日のように兵士達にレイプされて妊娠し、生まれてきたのがサラだったのだ。

遡ってみると、レイプがエスマの中で大きなトラウマとなって彼女を苦しめていたことは、ドラマの中でしばしば描かれている。集団セラピーに参加していること、時々薬を飲んでいること、胸をはだけた男性が間近に来てバスを降りてしまったこと、ナイトクラブで酔った男が女の胸を貪るのを見て気分が悪くなったこと……。

家でサラと戯れ合っているはじめの方の場面でも、娘が自分に馬乗りになって自分の両腕を床に押し付けた時、エスマは急に不安な表情を見せて「おやめ」と命じた。

集団セラピーの場面は全部で三回出てくる。冒頭では、女たちは皆目を閉じて歌に聴き入り、癒しを求める感情がその場面に満ちていた。次は、見た夢を話す女、笑い声を漏らす女、こんなセラピーより金をくれと言う女など、女性たちの抱える現実の多様性が描かれていた。

エスマが秘密をサラに告げた後の、最後の集団セラピーの場面で、エスマは初めて口を開き、すべての出来事を語り始める。その内容の壮絶さと悲惨さには、思わず鳥肌が立つ。エスマの告白にじっと耳を傾ける、同様の体験をしているだろう周囲の女たち。彼女たちの顔に刻まれているのは、想像を絶する痛手を負い、憎しみと悲しみに耐えてきた長い時間だ。

「私は、この世に、こんなに美しいものがあることを知らなかった」。絞り出すように吐かれたエスマの最後の言葉は、望まれずに生まれてきた赤ん坊を救い、あまりに重苦しい事実に一縷の希望を与えている。

自らの出生の秘密を知ったサラが、自傷に走る行為は痛ましい。だが彼女には、それ以外に方法がなかっただろう。自分という存在を全否定したいという強い感情。しかし否定しきれるものでもない。母がどんな苦しみを乗り越えて自分を育ててきたか、12歳なら少しは想像することができる。

修学旅行のバスの窓ごしの無言のやりとりは、二人が過酷な過去を共有し許し合うことで、新たな親子関係を築いていく未来を示しているかのようだ。


(左から)エスマ役ミリャナ・カラノヴィッチ、ヤスミラ・ジュバニッチ監督、サラ役のルナ・ミヨヴィッチ(Getty Images)

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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