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2019.04.14

「アラブのジダン」を欧州移籍に導いた女性エージェントの軌跡

ソニア・スイッド(写真=Forbes France提供)

フランスサッカー協会に登録のあるプロエージェントの9割を男性が占めるなか、ひときわ異彩を放つ女性エージェントがいる。ソニア・スイッド、33歳だ。

181センチの長身。ミスコンで優勝経験もある美貌。だがソニアは、生まれ持ったその容姿で勝負する世界よりも、「スポーツ・エージェント」という男社会で勝負することを選んだ。2012年に、アラブ首長国連邦の選手では初めての、ヨーロッパのクラブチームへのレンタル移籍を実現させるなど、さまざまな快挙でサッカー界を驚かせてきた。

ソニアがサッカーエージェントという世界で成功するまでには、当然ながら紆余曲折があった。

1985年6月19日、哲学者パスカルが生まれた地、フランス中部クレルモン・フェラン。ペルシア湾岸の国々でサッカーチームのフィジカルトレーナーを長く務めた父と、アルジェリア出身の母の元に彼女は生まれた。弟も妹もスポーツ好きという。

15歳まで過ごしたヴェルヌという街は、クレルモン・フェランがあるピュイ・ドーム県の中でも「何もない不便な土地のひとつ」だったが、唯一、プロサッカーチーム、クレルモン・フットが本拠地を構えるスタジアムが近かった。

その頃のソニアはバレーボールに熱中し、一度はプロチームにも所属した。だが18歳でバカロレア(大学入学資格証明)を取得すると、医学部へ進学。大学に入学した年にはミス・オーベルニュの栄誉にも輝いた。だがそのソニアの前に、厳しい進級の壁が立ちはだかる。医学過程の1年目を2度繰り返したところで進級をあきらめ、助産婦の職を得た。

だが大学に入学した頃から、田舎に暮らす若者にありがちな都会への憧れに、彼女もかられていた。

結局、「大都会で成功を手にしたい」と20歳でパリへ。雑誌のモデルや美容院のカットモデルなどの仕事をしたり、クール・フロランやピュグマリオンといった演劇スクールに通ったりした。だがその心が満たされることはなかった。

そののち知人を介し、豪邸専門不動産事業での仲介の仕事に就く。4年の間、各地を訪れ、人脈を築き、交渉のノウハウを身につけたが、その経験が現在のエージェントとしてのベースを作ることにもなった。

24歳で、かつてのスポーツへの情熱が再燃。スポーツ選手のエージェントという仕事に興味を持ち、フランスサッカー協会への登録を決意する。

当時、エージェントのライセンス取得には厳しい試験をパスする必要があった。猛勉強の末、2010年4月、合格率5%という狭き門をくぐってそのライセンスを取得。合格者の中で女性は彼女1人だった。

上々の滑り出しに思えたが、女性で、かつ元ミス・オーベルニュという、まったくサッカー業界と無関係な経歴の持ち主のソニアに、交渉相手はなかなか信頼を預けない。

「クラブチームのトップも、スタッフや関係者も、誰も私が正規のエージェントとは思わなかったのです。だから、どこからも門前払いをくらいました」

エージェント不在の地、アラブ

失意のソニアは、アラビア半島の国カタールに、父の仕事の手伝いに行く。そしてこの地にはエージェントが数えるほどしかいないことを知るのだ。こうしてソニアは、エージェントとしての第一歩をカタールとアラブ首長国連邦で踏み出すことになる。
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翻訳=竹若理衣 編集=石井節子 写真=Forbes France提供

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