いちばん熱心な受講生
1講座だけ受け持つ兼任講師ではあるものの、私にとって大学の教壇に立ち続けることはとても意味があることだ。
まず、教えることとは「学ぶ」ことでもある。自分が教える講義のいちばん熱心な受講生は、じつは、教えている自分自身なのである。私は自分の講義を18年間欠かさず聞いているわけだ。教える内容こそ変わらなくても、そこで取り上げる素材は常に変化している。なぜなら、世の中が変わり続けているからだ。熱心に学び続けなければ、熱心に教えることはできない。また、自分の知恵や経験を人に伝えること、これすなわち「投資」である。投資とは、エネルギーを投じて未来への希望を創造することである。教育こそがまさにそれではないか。
もちろん、彼らから何か金銭的なリターンを得るわけではない。彼らが成長して将来的に世の中に生み出す付加価値こそが「社会的リターン」であり、それらの総量が私の教育の成果だと思っている。そもそも私だって先達からの教育投資によって成り立っている。ある意味、次世代へリレーのようにつなぐことで、私たちは先達へお返しをしている、といえるのではないか。
私は大事なことをそのまま直に教えるのではなく、彼らがそこからどのように感じ、学ぶかを大切にしている。なるべく具体的な何かを教えず、そこから学生が自分なりに大事なものを腹落ちして学べたらよいと考えているのだ。
講義ではひたすら暗記をさせたりするようなものはほぼなく、とにかく、本物のベンチャーキャピタリストや経営者の話を通じて感じたり、考えたりすることを重視している。
記事冒頭で紹介した学生たちによる回答の一つに、「マネジメントというのは人に対する関心なんだとわかった」というものがある。だが、私はそのようなことをひと言も言ったことはない。それは、その学生本人が講義全体を通じて自分で学んだことである。
実際、私も「マネジメントとは関心を寄せること」という、その学生の言葉でまた学ぶことができた。このように、腹落ちできることが「学び」だと思う。
ふじの・ひでと◎レオス・キャピタルワークス代表取締役社長。東証アカデミーフェローを務める傍ら、明治大学のベンチャーファイナンス論講師として教壇に立つ。著書に『ヤンキーの虎─新・ジモト経済の支配者たち』(東洋経済新報社刊)など。
連載:カリスマファンドマネージャー藤野英人の「投資の作法」
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