「彼は既に青く塗った紙を持っていて、青い海の中に魚の入った網を描いた」。ブランソンはインタビューで私にこう語った。「彼は『純利益と総売上高の違いを知らないでしょう?』と尋ねた。私は知らないと認めざるを得なかった。彼は『この網の中の魚が利益で、それ以外のものが総売上高です』と話した」
「私はもちろん、これが逆の意味だと思い込み、自分の会社が実際よりずっと多く稼いでいると勘違いしていた。でも今では、仕事で会う人皆に、これ見よがしに純利益と総売上高について口にしている」
この話は、ブランソンが自分に「ひどいディスレクシア(失読症)」があることを示すため語ったものだ。しかしブランソンは「起業家になりたいなら、そんなことは全く関係ない。足し算と引き算ができれば大丈夫」と語った。
「大事なのは、人をどう扱うか、そして顧客志向が強く競合の一歩先を行く企業を作れるかどうかだ。人々の生活に真の変化を起こせる何かを作ることができれば、支出よりも多くの収入が得られ、生き延びられる」
「メード・バイ・ディスレクシア」
ブランソンはヴァージン・レコードで財を成した後、気球による大胆な世界一周の旅や、ヴァージン・アトランティック、鉄道運営企業のヴァージン・トレインズ、金融サービスのヴァージン・マネーの創業でも有名になった。15歳で学校を中退したブランソンは、ディスレクシアがビジネスでの成功に大きな役割を果たしたと信じている。
「学校での成績は絶望的で、当時はディスレクシアが理解されていなかったため、私はただ頭が良くないと思われていた」とブランソン。「ディスレクシアでなかったとしたら、学校を15歳で中退することはほぼ絶対になかっただろうし、自分の雑誌を始めたり、ヴァージン・グループを創業したりはしなかったはずだ」