在米30年の日本人から見る、アメリカ人と「サマータイム」

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アメリカで、長年実施されてきたサマータイム(夏時間)を廃止しようという動きが出てきた。ことの始まりは、カリフォルニア州が去年の中間選挙のときに併せておこなった住民投票で、サマータイムの廃止について賛成票が上回ったことだった(このあと議会で法案が提出され、可決される必要がある)。

そして、今回、3月10日にサマータイムが始まった途端、トランプ大統領が廃止を支持するツイートを発信すると、にわかに議論に火がついた。また、ヨーロッパでも、26日にEUの欧州議会が、サマータイムを2021年に廃止するという法案を可決した。

サマータイムは、アメリカでは3月の第2日曜日の深夜2時になると時計を1時間進め、10月の第1日曜日の午前2時に1時間戻すというそれだけのことだ。しかし、サマータイムを経験することなく、30年以上も日本で暮らしてアメリカに渡った人間からすると、このサマータイムをめぐる議論は、奇異なものに感じるのだ。

まず、正確にはサマータイムでなく、デイライトセービングというのが正式で、つまり日光を節約(活用)して、国のエネルギー消費を減らそうというのが趣旨だ。しかし、この趣旨、およそ科学的には証明されていない。

日が長くなったときに、午後6時に日が沈むところを午後7時にすれば、人はより遅くまで外で活動するだろうから、自宅の照明器具の消費電力が減るという考え方だ。人間、眠る時間は変わらないので、午後10時に寝るなら、4時間の電気料金が3時間で済む。「ほら、節約だ!」とこうなる。

しかし、朝6時に起きて8時にはオフィスに向かっていた筆者の経験で言えば、春先に時計の針を1時間進めると、朝の6時は、それまでの5時に当たり、まだ夜は明けておらず、あたりは暗い。明るくなるのは、以前の時間で言えば6時だが、これはサマータイムになると7時に当たる。すると、サマータイム後のこの1時間は、以前は必要のなかった照明をつけていた。つまり、夜の電気消費量は減るが、朝は逆に増えた。ほぼ相殺という感覚だ。

なぜ夜で稼いだ分を朝に消費されてしまうという、この単純なことが理解されないのかが、筆者にはわからない。しかし、日常生活で誰もそれを言わないのだ。

今や、太陽が出ていてもいなくても

サマータイムは、18世紀にアメリカの独立宣言を起草した1人であるベンジャミン・フランクリンが発案したものだと言われているが、実際には時計の時間を動かすものではなく、単にアメリカ国民に早起きは三文の徳だと言ったに過ぎないとされている。

本格的なサマータイムを発案したのは、イギリス人のウイリアム・ウイレットで(1907年)、アメリカでは1918年と1919年に各7カ月間、導入されたが、不評のためすぐ廃止とになった。その後、第二次世界大戦中にも復活したが、実際に現在の夏時間が制定されたのはジョンソン大統領の時代で、1966年のことだ。

このときも、エネルギー節約になるという仮説のもとで始めてみたものの、結局はそうはならなかったというのが実際のところだ。当時の仮説は、冷暖房の燃料費を計算に入れていなかったし、いまの大型LEDの電力消費も想定していない。現代人は、太陽が出ていてもいなくても、暑ければクーラーをつけるし、サマータイムになったからといってテレビを見る時間を減らすなどしない。

仮説通りにいかなかった、あるいは現代の生活環境に影響がないことがわかったのならやめればいいのに、これがやめられない。やめようという機運がまったく高まらなかった。筆者の身の回りのアメリカ人も、誰1人としてサマータイムがかつて一度でも自分の生活に利益を与えたと説明できた人はいない。
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文=長野慶太

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