価値基準はお金だけではない
格闘技に限らず、メジャーなスポーツではそこから生まれる「お金」の価値に注目が集まって、そこに幸せを感じるプレーヤーが多いのではないかと思っています。格闘技でも選手の価値はファイトマネーが物差しになるという考え方が主流で、100万円より200万円、200万円より1000万円、という会話が飛び交うことがあります。
私の場合、価値基準はお金ではありません。お金とか、業界をよくしたい、格闘技界を盛り上げたい、といった大義名分は持たないようにしています。かつてはそう思ってた時期もありましたが、自分の力だけではどうにもならないと痛感したこともあります。それよりも、自分自身が楽しい、熱中したい、と感じている「気持ち」の方が強くなっています。
およそ14年間格闘技に関わってきた中で、私にとって一番の財産や価値は「青木真也を見て、勇気付けられた」という言葉にあると感じています。そう言ってくださることが唯一残された価値だと思っています。
3月31日には、自分自身もかつて保持していたONEライト級のタイトル戦に臨みますが、私にとっては、よくメディアの煽り文句で出てくる「世紀の大一番」みたいなものではなく、「単なる試合のひとつ」と捉えるようにしています。なぜなら、現実味がないからです。
格闘技には「この試合に人生をすべて懸ける」みたいな煽り文句が溢れていますが、実際の所、日本では格闘技で生き死にを懸けるほど食うのに困っているハングリーな人はほとんどいません。フィリピンやタイといった東南アジアの貧困層から這い上がろうとする選手から「人生を懸ける」というフレーズが出てくれば現実味があるでしょうが、日本人がそう言っても、なんだか白々しい気がするのです。
お金を稼いだからといって人生が変わるとも思えません。昔と比べても裕福になっているはずなのに、なぜ多くの人が悩みを抱えるのか。お金を持っていても、持っていなくてもみんな悩んでいる。だからこそ、この日本で本当に「人生を懸ける」機会というのはそれほど存在し得ないと思っています。
この試合が終わったとしても選手生活は続いていくし、仮に選手生活が終わったとしても人生は続いていきます。こういう考え方をしているので、常に一つの試合をマイルストーンと考えず、自分の格闘人生を楽しむ舞台なんだ、というくらいの心持ちでいます。