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本気で失敗すればチャンスはつかめる!


日本人はアピールが不足している

ここで、私のキャリアをご紹介します。

私は2002年に起業しましたが、そこまでの人生では、失敗らしい失敗をしてきた自覚はありませんでした。

外資系航空会社で働きたいと考え、当時銀行で働きながらそれに向けた勉強をしていたときも、努力すれば絶対に夢は叶うという確信に近い思いを持ち、頑張ってきました。

結果的にその夢は叶い、私の中では、自分は失敗をしない人間だと思うようになりました。

根拠のない自信がもとで、次のステップで挑戦したのは経験のないIT業界での起業でした。

外資系航空会社で感じたのは、日本人はとにかくアピールが不足していることでした。

控えめな日本人だからこそ、もっともっと自分をブランディングしていかなければならないと考え、それをインターネットを通じて体現しようと立ち上げたのが今の会社です。

起業だけでも大変なのに、インターネットのことをほとんど知らないままにIT業界に飛び込んだのは今振り返ると無謀でしたが、その頃の私は「自分は何をやっても失敗しない」と思ったわけですから、だからこそ挑戦できたのでしょう。

無謀な挑戦ですので、当然のことながら何をやっても失敗ばかりです。何度となく挫折を味わうことになりました。

今後コラムで、1つずつ詳しいエピソードを書きたいと思っていますが、私の最初の挫折は、独立をするために航空会社を退職した途端、いきなり訪れました。

挫折と失敗、修羅場の歴史がスタート

このときは気づきませんでしたが、私の挫折と失敗、修羅場の歴史がスタートしたのです。

ブランディングを主軸とした会社を立ち上げたわけですから、当然自分では自分のブランディングを行ってきたつもりが、いざ航空会社を辞めると、私の周りからは誰も居なくなり、誰からも相手にされなくなりました。

ここで私は初めて知ったのです。「外資系客室乗務員の河本から、ただ単なる無職の河本」になってしまったのだと。つまり、私は自分のブランディングが出来ていたわけではなく、会社のブランド、職業のブランドに支えられていたということを思い知らされました。

「あぁ!なんで航空会社を辞めてしまったのだろう?なんてばかなことをしたのだろう?」この後悔は何年も続きました。しかし、この経験をすることにより、自分はブランディングのことなど何も分かっていなかったということ、ブランディングの重要性を身を持って知ることが出来ました。

2002年に1人で起業をして、ほぼ休みなく働いた結果、第一期目の年商は8万円でした。航空会社にいた頃は、お給料が毎月入ることが当たり前だと思っていた自分に気が付き、稼ぐことの難しさや、お客様がお金を払ってくれることがどんなに価値があり、大切なのかを学びました。

資金調達に成功したものの、自分の未熟さから事業はことごとく上手くいかずに9つの事業を失敗させてしまい7年間、会社を黒字にすることが出来ませんでした。

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