ひとつの街に世界中の企業と、今年はイーサン・ホークやシャーリーズ・セロンなどのセレブリティが集まる巨大イベントは、どう運営されているのか。また、スーパーボールの3分の2にあたる経済効果をもたらすというイベントが、オースティン以外の街で実現する可能性はあるか。
SXSWのチーフ・プログラミング・オフィサーのヒュー・フォレスト氏に現地で話を聞いた。
「SXSWの経済効果は、もう頭打ちです」
━━私が話を聞いたUBERのドライバーや地元の友人は、年を追うごとにSXSWの規模が大きくなっている印象を持っているようです。今後もSXSWは成長し続けるのでしょうか。
地元の方々はそういった印象を持っているのかもしれません。しかし、SXSWの経済効果は2012年をピークに頭打ち。2007年から2012年までは右肩上がりでしたが、近年の経済効果は大きく変化していません。昨年は3億5000万ドル、今年はどれくらいの規模で着地するか未知数ですが、昨年から大きく成長しているとことはないと予想しています。
今後、経済効果がさらに高くなるのは、もちろん喜ばしいことではありますが、オースティンというひとつの街で開催するには、イベントの規模は限界まで大きくなったと思っています。
━━SXSWはどうやってここまでの規模まで成長したのでしょうか。
SXSWは1986年、「未来のエンターテイメントと音楽」について議論をする、地元の小さなグループから始まりました。共通認識としてメンバーの間にあったのは、オースティンのミュージシャンは才能に溢れているのに、その魅力を十分に外に発信することができていないのではないか、という思いです。
当時のメンバーは、初めから対外的な挑戦をするのではなく、オースティンをベースに、何か新しいアクションを起こしたいと考えました。そして、地元の才能を広く発信するため、世界中からオースティンに人が集まってくる価値のあるイベントを開催しようという目標を設定しました。
初のイベントが実現したのは、SXSWの開催を発表した翌年の1987年3月。当初、訪問客は地元の人を中心に150人ほどと見込んでいましたが、結果的には市街からの訪問客を中心に、およそ700人と予想をはるかに上回りました。音楽好きな人にとっては、オースティンのアーティストのパフォーマンスを一度に見られることは、それだけ価値あることだったのでしょう。
強い集客力を持つ地元グループが法人化したのは、1989年のこと。「オースティン・チャレンジャー」という雑誌を発刊し、地元のローカル紙でも記事を書いていた私が参画したのもその年です。SXSW初の従業員である私は現在、どの企業、映画、音楽業界から誰をイベントに呼ぶかを決定する、50人ほどのチームでマネージャーを務めています。
もちろん、これだけ大規模なイベントをひとつの企業が運営するのは不可能です。今年は約3000人のボランティアが会場のアテンドを手伝ってくれています。また、毎年、交通の混乱と治安を守るために力を尽くしてくれているオースティン市、そして警察にはとても感謝しています。
SXSWが始まった頃から変わらず、現在もほとんどの訪問客は市街からの人が中心。イベントを率いるのは今もSXSWですが、このイベントはオースティン市が一丸となって運営しています。