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2019.03.22

なぜ佐賀はイノベーティブな人が集まり育つ地として注目されるのか

(左より)友納健一郎氏、山口祥義知事、小田切裕倫氏

日本の各地域がそれぞれの特徴を生かし、自律的で持続的な社会を創生することを目的とした「地方創生」の政策がスタートして今年で5年目。各自治体が農業や漁業、伝統産業など地域の特色を出そうと試行錯誤している。また、IT関連企業やスタートアップ企業を誘致し、最先端技術のビジネスを展開する自治体も多い。

とりわけ、日本有数の「IT先進県」として注目されているのが佐賀県だ。

佐賀県は、全国に先駆けてICT教育に取り組み、県内IT関連企業の高度化を進めるとともにIT関連企業を熱心に誘致し、AIやIoTといった最新技術を活用した産業振興を県民一体となって取り組んでいる。

スタートアップ企業と地域との共創も進められており、数々の有望なIT関連企業やスタートアップ企業が佐賀で事業展開するようになった。

なぜ、佐賀県は一歩先を行く事業を呼び込もうとしているのか。そこには、歴史的、文化的に先進性を追求し続ける佐賀独特の「チャレンジャー精神」が背景にある。

チャレンジを厭わない佐賀県の魅力について、佐賀県の山口祥義知事、佐賀県出身で、地元にIT企業「EWMファクトリー」の拠点を置いた友納健一郎氏、東京出身ながら佐賀県に魅力を感じ、唐津市をコスメティック産業の集積地にすることを目指し「唐津コスメティック構想」を展開する「ジャパンコスメティックセンター」にジョインしたチーフコーディネーター/ブランドアクティベーション、小田切裕倫氏の3人に話を聞いた。


■ 産業革命を生み出した地、佐賀

──佐賀県には、スタートアップのチャレンジを後押しする環境が非常に整っているように思います。なぜ、先進的な取り組みをする人や事業を積極的に支援するのでしょうか。

山口:佐賀には歴史的に見て、グローバルな視点で最新技術や人を取り込もうという気風があります。特に幕末維新期にかけては、日本の産業革命を先導したと言ってもいいでしょう。

江戸時代末期の第十代佐賀藩主、鍋島直正は非常に開明的な人物で、世界の趨勢をよく見極めていました。

直正は、1840年のアヘン戦争で清が欧米列強に敗北した後、一地方の領主でありながらいち早く国防の意識を高め、何としても国産の鉄製大砲をつくらなければいけないと決意しました。

鉄製大砲の製造技術を確立するには課題が山積していましたが、佐賀には長年積み上げてきた有田焼の製造技術があって、それをベースにあらゆる分野の技術者が集まる風土が幸いしました。

直正は研究をおし進め、十数年後には日本で初めて鉄製大砲を鋳造することに成功しました。ほかにも、天才発明家で「からくり儀右衛門」と呼ばれた田中久重も招かれ、国産の蒸気機関を製造しています。この田中久重は後に東芝となる「田中製造所」の創業者でもあります。

佐賀には、何もないところから日本の産業革命、そして最先端技術を生み出していったスタートアップ的な歴史的背景があるのです。



友納:佐賀県民はよく、「佐賀はなんもない」と自虐的に言いますが、何もないところから生み出す「ゼロイチ」ができる土地なんです。決まったものがない代わりに、資源は豊富にあるから自分たちで組み合わせて新しいものを作れる環境がある。「なんもない」は、「新しいことができる」の裏返しですよ。
 
東京だと既存のシステムが出来上がっており、利害関係者も多く、それがイノベーションの障壁となることがあります。佐賀はオープンに人と繋がり、既存のものをリセットして何かを生み出すことができる良さがありますね。

小田切:東京は「自転車操業」のイメージですね。真似できるモデルを短いサイクルで繰り返していくのは、それはそれで刺激的です。一方佐賀では本質的な部分、仕組みを腰を据えてじっくりと考えられる環境があると言えます。


■「クリーン&ディープ」な気風が、先進的な人を生み出す

──どうして佐賀にはイノベーティブな人が生まれ育ち、あるいは集まってくるのでしょうか。

山口:佐賀県は常に産業の各分野で、志を持った人材を集め、大切に育ててきました。こうしたルーツの一つが、江戸時代に佐賀藩が設立した藩校「弘道館」です。

弘道館からは、大隈重信、江藤新平、副島種臣、大木喬任、佐野常民、島義勇といった、幕末から明治維新にかけて日本の近代化を担った逸材が巣立ちました。1月まで行われていた「肥前さが幕末維新博覧会」は、そうした先人たちや明治維新で佐賀藩が果たした功績を新技術と人の演技を活かした斬新な手法で紹介し大変好評でした。

友納:明治維新の時代、佐賀藩が多くの偉人を輩出していたのは有名ですが、地元出身でありながら、佐賀藩が幕末や明治維新の時代にどういう役割を果たしていたのかをうまく説明することができないでいました。
 
でも、「肥前さが幕末維新博覧会」のパビリオンでは、当時の佐賀藩が維新のその先を見据えて、さまざまなヒトづくりとモノづくりの技術革新を行っていたことが、とてもわかりやすく表現されていました。それらを見た若い人たちも「佐賀ってすごかったんだ」と感動し、誇らしい顔をしていたんです。佐賀県人のDNAが呼び起こされたのでしょう。



山口:佐賀県が幕末にいち早く近代化を達成できた大きな理由は、佐賀という土地に根付く「モノづくりのDNA」にあると言えます。

堅実で、実直で、物事を粘り強く成し遂げようとする技術者魂を持ち、何度も試行錯誤し、失敗を繰り返す中で、それでも乗り越えてミッションコンプリートを目指す姿勢は、我々佐賀県民にも染み付いていますね。まさにモノづくりのDNAを引き継いでいるのです。

友納:私の会社はもともと東京で起業しましたが、今では営業以外のメインの業務は全て佐賀で行っています。なぜ佐賀なのかというと、私の地元ということを差し引いても、佐賀の人には、私が東京にいても仕事を完全に任せられる安心感というか、人の良さ、実直さがあるんです。

小田切:東京で生まれ育った僕は、コスメ構想に惹かれて4年ほど前に縁もゆかりもない佐賀に来ました。普通だったら孤立するはずなのですが、佐賀で出会ったみんなは僕が来てすぐに懐に入ってきたんです。知り合いでも何でもない僕に、いろんな人を紹介するなどして事業や生活の手助けをしてくれました。

まるでわらしべ長者のように知人が知人をつなげてくれるから、人と会っていくだけで事業が成立していくし拡張性も高いです。僕が自力で調査しなくても、つながったそれぞれの人が地元産業の概要や現状を持ち寄ってくれるんですね。だから「コスメティック構想」のような壮大な構想を実現するなら佐賀なんだな、と必然性を感じました。



山口:佐賀県は、人と人が勝手に結びついて、あっという間に蜘蛛の巣のようにネットワークが出来上がるのです。そして自然と地域が連携し合うのは、やはり佐賀県人の「おせっかい上手」な気質があるからこそ。たしかに暑苦しいところもありますが(笑)、人と人がつながり、それぞれの人が何役もこなすマルチプレーヤーになれるのが、佐賀の人の魅力だと思います。

小田切:完全アウェイの僕が佐賀に移住して感じたのは、佐賀の人たちの器の大きさ、居心地の良さですね。「何でもやっていいんだよ」という空気感というか。自治体のみなさんも含めて、「大丈夫、やってみな、この街では何回チャレンジしても大丈夫だ」と後押ししてくれる空気感ですね。

山口:佐賀には、人を惹き付ける「魔力」があると思っています。来てもらえるとわかると思うのですが、佐賀には独特の空気感があります。外からやって来ると、すぐに「蜘蛛の巣ネットワーク」に絡め取られますが、それが居心地の良さにつながってくるんです。

基本的に、佐賀県では失敗は織り込み済み。最初から絶対にうまくいく事業などありませんから。試行錯誤をしながら困難を克服していこうという姿勢が、私たち佐賀県民のプライドでもあります。

小田切:佐賀県では駆け引きがいらないですね。全員と直球で接することができます。佐賀の農作物についても誠実さが現れているし、ピュアでクリーンな農家さんが作っているから美味しいし、話していて楽しい。それが自然とピュアでクリーンでアクティブな人たちが集まる土地柄に結びついているのだと思います。

山口:佐賀県は、街の情景にしても、人のネットワークにしても「クリーン&ディープ」です。人付き合いがディープだからこそ、佐賀では義に合わないことをやると末代まで苦労する。だから義を尽くすクリーンな人にとってはとても居心地がいい土地だと思います。

佐賀の観光客もリピーターが多いのは、クリーン&ディープな空気感に惹かれるからでしょうね。通ったらわかる、得も言われぬ心地よさというか。

友納:空気や水だけではない、佐賀という土地が持つクリーンなパワーみたいなものに惹かれて、人が集まってくるということなんでしょう。



■ 佐賀のテクノロジーで世界を席巻させたい

──佐賀県を今後、世界、未来を見据えながらどのように発展させていこうとお考えでしょうか。

友納:少子高齢化の波が押し寄せ、人が減ってく中でいかにそのスピードを緩やかにするか、佐賀県から率先して社会の新しいモデルを作っていかなければならないと思っています。東京は出生率が著しく低いのに仕事を求めて地方から若い人が集まる。出生率の高い、地方での働き口を増やしていくことが必要です。我々はITを駆使し、東京に行かなくても、佐賀にいて魅力的な仕事ができる環境作りとチャレンジをどんどんやっていくつもりです。

小田切:佐賀県は「変人」が生きられる街です。変人が佐賀に来たら、必ず何かしら面白いことができます。私も変わり者と言われてきましたが、それでも佐賀の人たちは私を受け入れてくれました。普段から「誰も自分の言うことを聞いてくれない」とモヤモヤしている人こそ、佐賀に来てチャレンジし、自分のやりたいことを実現する仲間を見つけることができると思いますよ。

山口:多くの企業がコスメやスマート農業など、佐賀県の先進的なビジョンに関心を持って集結してくれています。県知事として、私はそんな企業の皆さんのネットワーク、そしてやっていくことを信じ、尊重しながらバックアップしていきたい。

AIやIoTの分野で技術革新が進み、第4次産業革命と言われる今だからこそ、もう一度佐賀から産業革命を起こしたいと思っています。日本の科学技術の原点は佐賀にあると自負していますから。

私たちはさらに先進的な技術を持つ企業に来てもらいたいと願っています。

明治以降、佐賀県には震災による死者がいないだけでなく、1967(昭和42)年の集中豪雨以降、10人を超える災害の死者もいません。災害が少ない佐賀は、新しい技術開発の拠点を置ける土壌が備わっているのも強みです。

急速に発展しているアジアへの窓口としても、佐賀は地理的に有利な場所です。東京から見れば佐賀は西の端に位置しますが、アジア視点で見たら、佐賀県はソウルからも上海からも東京からも等距離に位置する「中心地」でもあるのです。

客観的に見ても、佐賀にはイノベーションを生み出す環境が十二分に備わっています。ぜひ佐賀に集まり、仲間に加わってもらって、佐賀のテクノロジーで世界を席巻したいと思っています。

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新たな佐賀の歴史を共創しよう。
#CreateSaga

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Promoted by 佐賀県 / 文 = 久世和彦 / 写真 = 岩間辰徳(GEKKO)

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