そう語るのは、株式会社FreewillのCEO麻場俊行だ。SI(システムインテグレーション)を柱に多様な事業を展開する同社は、すべてにおいて“グローバル”かつ“フラット”。こうした組織を作るまでには、人生でいくつかのターニングポイントがあった、と麻場は振り返る。
「高校時代を過ごしたアメリカでは、自我が見事にぶち壊されましたね。何かひとつでも他人より秀でているものがあれば、ヒーローになれる。“なぜ、この授業をやるのか”、逐一先生がその意義を教えてくれる。シェークスピアの詩を暗唱できる奴が女の子からモテる。――人間関係から教育、恋愛に至るまで、日本とはまったく違う思考を求められた」
19歳だった1997年。バックパッカーとして世界を横断したことも、彼の人生を語る上では欠かせない。生きるとは何か。そんな抽象めいた問いかけに、お金を得るために挑んだ過酷な農作業が、海の中で共存共栄する魚たちの姿が教えてくれた。道すがら出会った仲間たちとの語らいの中で、今後発展するであろうITの可能性を感じたのもこの頃だった。
「IT技術をベースに、異なった人種が共存共栄する組織をつくりたい」――麻場が抱き続けていたこの思いに賛同し、後ろ盾となってくれたのが、現会長・天野雅晴。彼との出会いは麻場にとって、最大の契機となった。
社名の通り、“自由意志”。給与とKPIは自身で設定
2013年、Freewillを共同創業した麻場と天野。このふたりには共通点がある。海外留学、居住の経験から「常に日本を俯瞰して見ている」ことだ。
「ガラパゴス化していると言われて久しい日本ですが、我々が最も危惧しているのが、グローバル人材を生かす土壌が少ないということ。目の上のたんこぶとなっていた“英語が話せてディベートもできる”人がしっかり評価される企業を、まずは作りたかった」
Freewillは、麻場がもともと在籍し、現在も天野が代表取締役会長を務める会社のグループ企業として創業。その流れを汲み、主力事業はSIとなった。現在、社員の国籍は全12カ国。社名の“自由意志”を体現する取り組みは実にユニークだ。
「採用は、お互いの成功のために必要な“パートナー”探しという感覚で行っています。入社後もフェアな関係性を維持すべく、メンバーの一部は給料やKPIを自分自身で決めている。部署異動もローテーションも自由。手を挙げた人が昇進できる。基本、自分の考えに従って動ける組織にしています。逆にいうと、能力があっても、意志のない人はここではやっていけないでしょう」
一方で、Freewillの基盤であるSIは、事業会社での就業に比べて業務が限定的で、エンジニアには“敬遠されやすい”領域とされている。本当に自由意志を尊重できる場なのだろうか?
「わざわざ転職せずとも、プロジェクトベースでさまざまな分野の技術に触れられるという点においては、エンジニアにとって最も経験値が上げられる分野だと捉えています。特にうちの会社は、AI(人工知能)やRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)など新しいもの、難易度の高いものであっても、本人が望めば挑める環境がある」
日本社会への絶望から一変、30代で見出した希望
クライアント、社員との信頼関係を主眼に置く麻場。
実は数々の苦い経験が、彼をそうさせた。世界周遊したのち、日本に帰国。映像クリエイターを目指していた頃には「若者の夢を食い物にした怪物」から次々と襲われ、文無しとなった。
クリエイターになる夢に区切りをつけ、ブルガリアを拠点に貿易業を始めたのは23歳。軌道に乗ろうとしていたある日、日本にいる出資者からの送金が途絶え、従業員に給料を支払えなくなった。「この貧しい国では、彼らのみならず、家族まで路頭に迷わせてしまう」――お金よりも何よりも命の重さを感じた麻場は、出資者との関係を解消し、即座に会社をたたんだ。スタートしてからわずか4年での出来事だった。
「それから、日本でサラリーマンとして働くことになったんですが、なかなか自分を使いこなせる経営者に巡り合えなくて。早くて半年、長くて2年で辞めて転職、その繰り返しでした。とりわけ、縦割り社会には馴染めなかった」
いっそ、アメリカに逃げてしまいたい。藁をもすがる思いで応募したのが、シリコンバレーに本拠地を構える天野の会社だった。その二次面接で、麻場は会長である天野と出会うことになる。2007年のことだ。
「天野が日本に滞在する期間は年に40日ぐらい。しかも、それまで採用面接に同席することは一切なく、僕が初めてのケースだったようです。第一印象は、アメリカ界隈によくいるような、胡散臭い日本人(笑)。すぐに信用する気持ちにはなれなかった。“Eビザが取得できる”という旨味がなければ、果たして入社していたかどうか……」
しかし、ジョインすると、意外にも社風が肌に合う。麻場は水を得た魚のように、目を見張るような営業成果を作り上げ、23万円でスタートした給与が、翌年には60万円を超えた。一方、天野との距離は縮まることはなかった。
そうして迎えた入社2年目。アメリカ出張でその疑念は“共鳴”へと変わった。
「その華やかな人脈を目の当たりにした時、“真のビジネスマンだ”と直感しました。天野は、米日カウンシル(太平洋両岸のビジネスリーダーたちが所属する公益財団法人)に加盟し、そこでのステイタスも上位。そうなると、拓ける世界が全く変わってくるんですよね。
企業視察の際に偶発したディベートでの発言力にも舌を巻きました。将来のソーシャルメディアについて、20代のグーグル社員と対等に議論を交わす50代の天野――圧巻の一言でした」
信頼できる恩師の下、グローバル視点で力を発揮できる環境。30代に差し掛かり、麻場はようやく日本での居場所を見つけたのだった。
世界を動かすのは、僕らだ
遠回りしながら、やっとたどり着いた自らの突破口。可能性ある若者たちに対し「自分の二の舞にはさせたくない」という強い思いが、麻場にはある。学生やスタートアップに対し、事業化に必要なリソースを提供する『Freewill-Freespace』事業もその一環だ。
「これからは人がフォーカスされる時代。実際、社会から得られる信用は、貨幣から人そのものの価値へとシフトしつつあります。人の信用に結び付く、クラウドファンディングのような仕組みが生まれたのも、そうした流れによるものでしょう。
Freewillでは今後、次世代を担う人たちが、自らの自由意志に沿って動けるような事業やCSR活動を多数展開していきたいと考えています」
構想のひとつが“必要なニーズに優秀な人材を充てる”ことを目的としたピッチイベント。具体的には、起案者がプレゼンを行い、その事業に興味を示したり、共感したFreewill社員・一般のエンジニアをプロジェクトに“貸し出す”仕組みである。
「“1000万円稼ぐ”ことよりも、ニーズと自身のやりたいことをマッチさせるほうが、個人の幸福度は上がるんじゃないかと。
貸し出す人材について取引履歴や評価が見られる、ブロックチェーンのシステムを開発したい。そこには、社会的インパクト評価も織り込みたいですね」
また、現在参加協力している、スポーツ国際貢献事業『SPORT FOR TOMORROW』の延長線上として考えているのが、貧困地域に住む子どもたちを対象にしたクラウドファンディングだ。
「ステイタスに関係なく、その子の才能ややりたいことにチャンスを与えたい。その第一歩としてスポーツを軸に支援する仕組みを整えていきたいと考えています。
Freewillのコアバリューである“僕らで世界を動かそう”をどれだけ体現できるか。これからが本番です」