ビジネスや政治の現場で活躍する経済学者が増えていることについて、その一線にいる経済学者に聞こう、という趣旨で取材を申し込んだのが成田だった。しかし、そうした動きに対して、成田は冷ややかな反応だった。
「個人的には残念だと感じています。政策の目的を決めるのは政治家や官僚で、彼らの政策目標を成し遂げるためのエビデンスを作りましょうというのが『証拠に基づく政策立案』ですね。企業の場合は、クリック率のようなKPIがあって、それにしたがって広告やアプリを改良していく。つまり、誰かが与えてくれた目的に乗っかって、それを最適化していく。太鼓持ちの下請けなんです。僕も含めて」
シカゴ大学法学部教授のエリック・ポズナーとマイクロソフト首席研究員のグレン・ウェイルが18年5月に発表した記事は、現代の経済学の問題点をこう説明している。
アダム・スミス、カール・マルクスといった19世紀の社会科学者は、政治学、経済学、歴史学、哲学、社会学など、社会科学が専門分野に分かれる前に横断的な理論を構築し、社会の変革をリードした。
しかし、各分野はその後細分化され独立して発展。経済学では、1936年の『雇用・利子と貨幣の一般理論』で知られるジョン・ケインズを最後に、数理分析や実証的な研究が好まれるようになり、社会の見方(ビジョン)や価値観を変革するような理論構築は避けられ忘れられていった。現代のマルクスは今のところ見当たらない。
「クリック率や試験の点数といった目的に沿って最適化していても、社会を変える『やばい考え』は生まれません」。成田の「幸福なデータ奴隷」論は、実現すれば限りなく「やばい考え」だ。それを理解するためのヒントがグーグルが作成した動画だ。
9分ほどの動画は一面の星空から始まる。単調なバックグラウンドミュージックに乗せて、無機質な男性の声が説明を始める。「利己的な台帳(selfish ledger)」と題されたこの動画は、グーグルの研究組織、Xでデザイン部門トップを務めるニック・フォスターらが16年に内部向けに作成。18年5月、ウェブメディアが動画を手に入れてオンライン公開すると、その刺激的な内容が物議を醸した。
タイトルの「利己的な台帳」は、人間を「遺伝子を運ぶキャリアー」に例えたリチャード・ドーキンスの1976年の世界的ベストセラー『利己的な遺伝子』のオマージュだ。この動画で、人間が遺伝子の代わりに運ぶのは台帳、つまり行動に関する蓄積されたデータ。データは人々に共有され、次世代に継承される。いつしかデータを生み出す人間よりも、蓄積されたデータ自体が価値を持ちはじめる。
特に不気味なのは、遺伝子情報を改変して新たな人類を作るように、データに基づいて行動を変え、人類を導くことができるのではないか? というくだりだ。例えばスマートフォンで、商品やサービスを選ぶ時、自動でその人やグーグルの価値観に合う選択肢が提案され、人々を一定の方向に導くことができる。世代を超えて蓄積されたデータによって人々の行動や意思決定を正確に予測でき、健康や貧困などの人類の問題を解決できるかもしれない。
成田は「露悪的で取り繕っていないところがいい。そして好奇心がやけに旺盛」と評する。これに刺激を受けた成田の「幸福なデータ奴隷」論は、到達までに三つの段階がある。現代は最初の「無自覚なデータ奴隷労働者」の段階だ。KPIを与えられた太鼓持ちデータ分析者たちがデータ奴隷である一般の人々を最適に搾取する。