おしどり夫婦の家で学んだ、世界一贅沢な貝のパスタ

ムール貝とアサリのパスタ


けっして裕福ではないけれど、「ヤンママ」として海外で苦労を重ね、どんなときも地に足をつけて世の中を見つづけてきたクラウディアの料理は、ドカンと豪快でありながら、さりげなく繊細だ。

マリオが仕留めたイノシシは、勢いよく鉈で叩き割って肉片にして、ワインも油も使わずに、わずかな水だけでまずは丁寧に蒸し上げ、臭みを取ってから味付けをすることで、イノシシならではの滋味を存分に味わえる一品に。

ムール貝とアサリのパスタは、たっぷりの貝をフライパンに敷き詰め、これまた水を1滴も入れずに蓋をして火にかけて、純粋な貝汁をまずは取り出してしまう。と同時に貝は全て剥き身にしてしまい、さらに包丁で細かく叩く。茹でたスパゲッティに、この「剥き身のたたき」と「純度100%の貝汁」を絡ませれば、地味な見た目ながら、これでもかというくらい貝の旨味がつまった世界一贅沢な貝のパスタになる。

素材の素晴らしさにおんぶに抱っこではけっしてない。好奇心旺盛で、型にとらわれない工夫に満ちた料理。でもどこかに一本筋の通った「正義」のようなものがあるから気持ちがいいのだ。

生きることの本質も学ぶ

台所にこもりながら、あるいは街まで買い物に行きながら、クラウディアと過ごす時間そのものがまた楽しい。

「世界の3大Bのバカには困ったもんだわ」とブッシュ大統領、ブレア首相、ベルルスコーニ首相への批判も切れ味鋭く、街中の店の前に物乞いの青年がいれば、「こんなところに一日突っ立てる暇があったら仕事探しにいきなさい! みんな必死に働いて生きてるのよ!」と叱咤激励して追っ払う。

元ヤンママはどっしりと肝が座っていて、夫のマリオを自在に操りながらも、マリオのことが誰よりも自慢。そんな彼女の手のうちでコロコロ転がっているマリオはマリオで、実は一家の長として絶大な求心力を持っている。若くして結婚し、共に苦労を重ねてきた2人だからこそ、強い信頼で結ばれ、その考え方にはモラルからセンスまで1点のブレもない。

例えば、朝、メガネ姿で起きてきた私に、クラウディアが「あら、そのメガネ素敵ね」と褒めれば、昼に畑から帰ってきたマリオが「おっ、リッツ、そのメガネいいな、似合うぞ」と同じことを言う。

「マリート(夫)には電話したの?」とクラウディアから聞かれたかと思えば、マリオからもやっぱり「マリートとは連絡とってるのか? どんな長いメールより、たったひと言でもいいから生の声だ。電話しなさい」と言われるのだ。



どんなときも、家族は心をひとつに。役割や使命が違っても、暮らしている場所が違っても、いつも心をひとつに。毎度、夫を置いて、料理修行にこうして来ている私が、いちばん後回しにしがちなことも、彼らに言われると背筋が伸びる思いがした。

地図にも載っていないような小さな村だけど、たいした産業も観光源もない質素な村だけど、平和で豊か。そんなこの村に料理を教わりに来たはずなのに、なんだか生きることの本質を学んでいる気がしてくる。

そして振り返ってみれば、この時はまだ自分が母になる日がくるなんて考えたこともなかった私が、今では子連れでイタリアに通っているのも、実は、彼らと過ごした体験が、彼らの言葉が、生き方が、その大きなきっかけと自信をつくってくれたからに他ならない。

連載 : 会社員、イタリア家庭料理の道をゆく
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文=山中律子

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