自分の言葉で言語化する、私がアクティブラーニングで学んだこと

Beer5020 / shutterstock


自分の言葉というより、正解に近いであろう言葉を使えば、それで合格圏内に入り、良い成績がもらえる。それは、大学を卒業後の社会人生活のときも同じでした。仕事中は、上司や同僚に対して「オンの顔」で接し、プロとしてみられる発言や振る舞いをしていたと思います。

その流れで、ミネルバの授業に参加した当初の私は、その「オンの顔」で臨んでいました。スマートに見える態度を崩さないことに気を取られてしまい、本当はあまりわかっていなかったものを、わかったふりをしてしまい、ある時に自分の言葉で言語化するときに、それができず大恥をかいたことがありました。

それ以降、わからないものはわからないと聞く、知ったかぶりをする前に正直に白状する。個人それぞれが理解することが授業のゴールとされているのだから、質問する行為は恥ずかしいことではなく、価値があるということなのだとわかってきました。

クラスメイトはパートナー

そんなふうに試行錯誤しているうちに、自分なりの言葉で理解をし、自分の習熟度を自分の言葉で評価し言語化していくと、普段、家族や友人と話しているような素の自分で居ざるを得ない時が増えてきました。

フォーマルな場で素の自分を出すことは恥ずかしいことだと思いきや、クラスメイトたちも自然体でリラックスし自分をさらけ出しています。そんな姿に勇気をもらい、自分の中の抵抗感も徐々に低くなっていきました。

21世紀型教育といわれる、個人の問題解決能力、思考力を養う場では学校や組織に忠誠や規律を示すことよりも、素の自分を出し、自分の言葉で語ることが大事なのではないかと思います。また、素の自分を出した時の授業は、学習到達度が高いという実感もあります。

クラスメイトたちは、成績の優劣を競う相手ではなく、共に自身の習熟度を高め合うパートナーなのです。時には自分が言語化できないものを、誰かが代わりに表現してくれる場面もたくさんありました。その時々で良い成績を奪い合うのではなく、学ぶ過程はずっと続くものだという共通理解から、暗黙の協力関係が生まれていたという実感がありました。

素の自分で取り組み、しっかりと理解してから自分の言葉で言語化するという習慣は、さまざまな場面で役に立ってきていると実感しています。

例えば、会議で人と話すとき、相手に投げかける質問も自然になってきました。ミネルバ以前の私は、質問の内容も受け答えも、スマートに見られようという意識が働いていた気がします。今では純粋に相手の主張を理解するために自分はどうすべきか、余計なことを考えずに振る舞うことができ、相手にも私の考えが伝わりやすくなってきたのではと思います。

オンとオフの場面を切り替えず、 素の自分で理解を深めるために情報を収集していく。それが習慣化したことが、アクティブラーニングで得たとても大きな変化でした。

連載 : 未来の大学で出会った「新しい学びのかたち」
過去記事はこちら>>

文=橋本智恵

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事