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フォーブス ジャパン ウェブ編集部 エディター


「見慣れた場所から一歩踏み出すこと」はすべて冒険

──では、「旅をすること」とは何でしょう?

旅をすることは、まず歩くこと、一歩を踏み出すことからはじまりますよね。究極の旅は、道具に頼らず、生身に近い状態、いわば素手で世界を掴み、どうにか歩き続けていくことだと思っています。そのためには、道具や装備に頼らず、なるべく自分の身体と感覚によって乗り越えていきたい。ぼくがかつて書いた著書のタイトルにもなっていますが「全ての装備を知恵に置き換えること」は大切だと思っています。

これは、アウトドアメーカーの「パタゴニア」創業者のイヴォン・シュイナードと話したときに出てきた言葉なんですが、星を見ながら海を渡るミクロネシアの人々や、ヒマラヤに軽々と登っていくシェルパ族、犬ぞりを駆使して遠くまで旅をするイヌイットの人たちなどとの出会いを経て、実感をもって考えるようになりました。

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(c)石川直樹 

現代を生きる子どもたちにも、だから、自分の体を使って旅をすることの面白さを知ってほしいと思います。

机上の知識として自然について学ぶ以上に、フィールドで実際に体験すること。たとえば、雨に濡れたら冷たくて体が冷える、雪の中を歩けば靴に雪が入って靴下が濡れて不快になる、太陽の光の暖かさとありがたさ、そういった基本的なことを、体験を伴って知覚していくことがまずは大切ではなんじゃないか、と思うんです。

──著書『全ての装備を知恵に置き換えること』でも書かれている、「現代における冒険」とは何でしょう?

地球には、地理的な空白、前人未到の地というのはほとんど残っていません。世界中のあらゆる土地に、人間は足を踏み入れてきました。ロアール・アムンセンや植村直巳さんが冒険していた時代と、今は違う。そんな現代における冒険ということを突き詰めていくと、遠くの世界に未知を探すのではなく、視点を変えることによって、すなわち、いつも見ているのとは別のレイヤーに滑り込むことによって、身近な場所に未知の沃野を見出すことだと思うんです。

たとえば、道具をもたずに山に分け入ってみたら、知っている裏山がまったく別の顔を見せてくれる。フィールド体験でなくても、昔から続く祭祀儀礼などに、人間の無意識が表出し、空間ががらっと変容してしまうこともある。見慣れた場所、知っていると思い込んでいる事象に、未知の出会いを見出すこともまた冒険なんじゃないか、と。

突き詰めていけば、「見慣れた場所から一歩を踏み出すこと」はすべて冒険だとぼくは思うんです。何も大仰なことではない。新しいことを始めるのも冒険です。たとえば起業することだって大きな冒険だし、子育てだって冒険でしょう。

良質な読書は中身の濃い旅と等価

──石川さんにとっての「日常」とは何ですか?

旅は非日常の出来事のように思われがちですが、僕は、日常と非日常を分けることがあまりない。旅を続けていると、知っている街にいても旅をしているような感覚になる。あるいは見知らぬ場所に滞在していても日常を感じる瞬間がある。写真を撮ることも文章を書くことも、旅をすることも、仕事という感覚はないですし、普段と普段じゃない、の区分けがぼくにはあまりありません。

だから、日常の延長上に、エベレストや北極もある。世界は当然ですが繋がっているので、歩いて行けばどこにでも行ける。そこにいる自分は変わらないし、自分の日常はどこにいても続いている。だから、どこまでが日常でどこからが非日常、という考え方はぼくにはほとんどないんです。

読書も旅のひとつですよね。一歩も動かなくても旅はできる。良質な読書体験は、中身の濃い長い旅をすることと同じと思っています。僕自身、子どもの頃から本を読むのが好きで、本の中の世界を幾度となく旅してきました。

人は、新しい出会いを繰り返しながら自分の中身を変えていく

──遠征からの帰国後、風景が違って見えることはありますか?

電車の中で集中して本を読んでいて、あわてて目的地の駅に降りたら、ホームから見上げた空がいつもと違う空に見えた、という経験がぼくにはあります。本に描かれた世界に没頭していて、ふと我に返ると世界がちょっとだけ違って見えるような感覚です。

長い遠征で多くの出会いや発見があった後、帰国してみたら、見慣れたはずの街が別の風景のように思えたりしたこともありますね。そうやって人は、新しい出会いを繰り返しながら自分の中身を少しずつ変えていくんだと思います。

もちろん自分の中に揺るがない軸は必要ですが、色々なものを受け止め、吸収するために、常に変化できる柔らかさは持っていたいな、と。

VOL.2

『戦メリ』助監督が惹かれ続ける、宮沢賢治の...

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