福島県相馬市に住む86歳母の手紙に、被災地復興のヒントがあった

東日本大震災から8年。福島県相馬市で暮らす86歳の母から、今の思いを綴った手紙が届いた。

まだまだ復興途上の被災地で、いま何が必要なのか? どんなアイデアや力が必要なのか? そのヒントがここにあると感じ、紹介させていただきたい。

「母からの手紙」

発生から8年となる東日本大震災。それぞれの時を刻む被災地では、被災地ごとに復興と再生の歩みが見える。

自然災害とはいえ突然生死を分け、日常を奪われた被災者の方々の今日まで生きてきた苦しみの日々は、一言で語ることは出来まい。

残る最たる課題は原発問題。かつては豊かな暮らしを願って原子力の平和利用をうたったのであろうが、人間の作るものに「絶対安全」の神話はないのだ。放射能が拡散し、避難命令がでた住民の方々の、この8年の歳月を思うと胸が痛む。

時がたち、各地に避難解除命令が出され、ふるさとに帰る人が増えてはいるが、学校や病院、商店など、生活条件が満たされているとは決して言えない。

人口減少状態は一朝一夕に解決できる問題ではないが、だからこそ地域のリーダーには、「生活手段の充実」「幅広い企業誘致」等々、リーダーシップを発揮し、強い心で臨んでほしいと願う。

私事を言えば、被災後ボランティアの皆さんや地域の方々にも支えられ、泥まみれだった敷地や家の周りも砂利を敷いたりして、ささやかながらも日常を取り戻すことが出来てきた。いまだ数万人の避難者がおられることを思うと、有難くも申し訳ない思いを噛みしめる日々である。

ご先祖様が植えてくださった「さつき」……次の年には花をつけて、私を励ましてくれた。

8年の月日は人を育て、自然治癒力は、大地に緑を蘇らせた。ある学校では、この災害を忘れないようにと「忘れな草」の鉢を育てて、配っているとか。

当時高校生だった子どもたちは、立派に成人して、第一線で働いている。みんな被災の経験をバネにして、くじけないで頑張っているのだ。

伝統の工芸品も復活し、農業においては早くから海外に出荷され、リンゴや梨、さくらんぼなどが豊かに実っている。米作は作付け面積も増え、去年も今年も「福島県産」は「最高銘柄」の評価を受けている。

もう風評被害に肩身の狭い思いをすることなく、誇りをもって耕作することが出来るのだ。漁業も原発の影響もあり辛い時期も長かったが、相馬名物の青のりの収穫も去年から再開されている。

摘み取ったばかりの青のりは、酢の物よし、天ぷらよし、懐かしいふるさとの味が帰ってきた。口に含むと磯の香りが広がり、「いのち」を感じる。
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文=武澤忠

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