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2019.03.09 12:30

震災ドキュメントを撮り続けて感じた、被災地の今と地方の再生

時計が止まった町


今年の正月、福島県相馬市の実家から東京に帰るため、ひとり車を走らせていた時のこと。

ある程度下の道(国道6号線)で行って、いわき市に入ってから常磐自動車道に乗ろうと南下していたところ、ガソリンが少なくなっていることに気づく。

「次のスタンドで入れよう」と軽く考えていたのが迂闊だった。国道沿いにガソリンスタンドはあるものの、どこも無人。やがて、急速に人の気配もなくなってきた。「帰還困難地域」に差し掛かっていたのである。

浪江町から双葉町、大熊町を抜けて富岡へ。

この辺りは、通行はできるものの、今も住民が帰還することは出来ない。周囲数キロにわたって、空いてる店はおろか、ひと気はなく、震災直後のまま時が止まったかのようだった。

あれから8年も経つというのに、今の日本に「取り残されたような空間」がある現実…。言い知れぬ不安と恐怖を感じたのは、ガソリンがいつ尽きるか心配だったからだけではなかった。

同じような「恐怖感」を、あの時も感じた。

2011年3月…東日本大震災で相馬市の実家が津波で被災。ひとり暮らしていた母・順子は命は助かったものの、家は半壊…もう住める状態ではなくなった。

毎日、お昼の生放送番組の総合演出をしていた自分が、帰省したのは3月末。変わり果てた故郷の姿に、言葉を失った。

周囲数キロ、ひと気のない瓦礫の中を、ひとり歩きながらかつての田園風景を思い返す。ふと、何かを踏んづけ足元を見たとき、思わず「ギャッ!」と声を上げ、後ろにのけ反った!

バケツの中に、人間の生首のようなものがある。背筋がぞっと寒くなり、言い知れぬ恐怖を感じた。しかし恐る恐る、もう一度視線を落とすと、それはバケツにすっぽり埋まった「マネキン」の首だった。

なぜ、こんなものが…。答えはなかった。ただそれが本当に人間の首だったとしても、不思議ではない状況だった。
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文=武澤忠

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