震災ドキュメントを撮り続けて感じた、被災地の今と地方の再生


母から学んだこと



大自然には自然治癒力という偉大な力がある。

震災から7カ月。あのマネキンの首が転がっていた場所は、瓦礫が撤去され、緑の草に覆われていた。

母はその日の日記に、こう綴っている。

 塩水にも負けずに、雑草が生き延びた 
 虫も生きている
 ならば、人も生きなくては

震災から1年…被災地の母を撮り続けたドキュメンタリー「ディレクター被災地へ帰る 母と僕の震災365日」が放送された。津波で妻を亡くし、生きる希望を失っていたという男性視聴者から、「おばあちゃんが立ち上がる姿を見て、あんたも頑張りなさいと妻に言われた気がします」というメールをいただいた。会社でそのメールを読みながら、涙が止まらなかったことを覚えている。

千年に一度と言われる大災害…しかしここから僕は大きく2つのことを学んだ気がする。

ひとつはもちろん「命の大切さ」…そしてもうひとつは、我々日本人には、どんな災害にも負けない、逞しいメンタリティがあるんだ!ということである。

どんな逆境に置かれても、それを跳ね返す精神力が…世界に誇れる精神力が…我々日本人にはあるんだ、と。

まだまだ復興には時間がかかる。しかしそのメンタリティを忘れなければ、もう一度、浜辺に…町に…かつての賑わいが戻ってくると、僕は信じている。



いま被災地に必要なこと

震災から1年半後の2012年夏、タレントの間寛平さんの被災地縦断マラソンに密着取材した。岩手県山田町をスタートし、宮城、福島の被災地を460キロ、9日間かけて走る。

津波の被害が生々しい海岸沿いに時に足を止め、言葉を失いながらも、地元の人々の声援を受け、寛平さんは無事完走した。

まだ日常を取り戻せない仮設住宅や避難所の人たちが、「走ることで元気をだしてもらおう」という寛平さんを見て、沿道から「ありがとう!」と声をかける。

これは初めての経験だと寛平さんは言う。

「頑張って!と僕が言い、ありがとうと言葉をかけられる。いつものマラソンと逆なんですよね」

沿道で立ち止まって、話を聞いた住民一人一人にある人間ドラマ。

ある主婦は、近所の老婆を助けに行って津波にのまれ命を失った夫を、最近まで恨み続けていた。

「どうして止めるのも聞かずに行ったのか」と…。

しかし最近娘が結婚し、子どもができるとわかって、ようやく「夫は偉かった」と思えるようになったという。

赤ちゃんの誕生予定日は、亡き夫の誕生日。運命を感じたのだという。

母と同じ年の元高校教師の男性は、津波の時の衝撃で、つないでいた手を離してしまい、妻が濁流にのまれ、帰らぬ人となった。

「あのとき、どうして手を離してしまったのか…可哀そうな気がします」

自分を責め続ける男性に、「あまり自分を責めないでください」とかけた僕の言葉は、涙で震えていた。

月日がたち、再び被災地を訪れると、日に日に建物は復興していた。大きな船が流されていた気仙沼の住宅地は地盤が高くかさ上げされ、その上に新しい住宅が建っていた。

実家の近くの海岸沿いには高い防波堤が出来、安心と引き換えに海が見えなくなった。

8年間で復興工事の多くは進んだのかもしれない。

しかし、被災地の人たちの「心の復興」、そして「町の復興」には、まだまだ時間がかかるし、土地を離れてしまった人たちが、帰ってくる…あるいは新しく若い人たちが住むことが必須だ。

そのためにも、住宅整備だけではなく、「産業」が根付き、「人」が根付き、「暮らし」が根付くことが大切だと思う。それには逆転の発想で被災地を活気づける新しいアイデアが必要であるし、「若い力」が不可欠だと思う。

その重要なヒントが、今回母から送られてきた「手紙」に込められていた。

(続く)

【第2回】福島県相馬市に住む86歳母の手紙に、被災地復興のヒントがあった

文=武澤忠

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