では、その「やり切れなさ」は、何に対してか。
敢えて言えば、人工知能の持つ「迷いの無さ」に対してであろう。
我々人間は、上記のような難しい倫理的判断を迫られたとき、苦渋の決断として判断を下した後も、心の奥深くで「あの判断で本当に良かったのか」と考え続け、「犠牲になった人や家族の気持ちを思うと耐えがたい」と感じ続けるだろう。
もとより、そう考え、感じ続けたとしても、選択した現実は何も変わらないのだが、そして、そうした考えや思いは、経済学的に見れば、決して生産的なものではないのだが、実は、人間社会においては、決断を下した人間の心の中に、そうした考えや思いがあることが、関係する人々にとって大きな救いになっており、その社会を温かみのあるものにしていることを、我々は決して忘れるべきではない。
すなわち、こうした難しい倫理的問題、ある意味で「答えの無い問い」の前では、「迷いの無さ」よりも、決断の前に「迷いが有る」ことや、決断の後にも「あれで正しかったのか」と考え続けることこそ、実は、大切なことなのであろう。
そのことを考えるとき、我々がしばしば混同して使う2つの言葉が、実は、似て非なる言葉であることに気がつく。
それは、「知能」と「知性」という言葉である。
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、いち早く、正解に辿り着く能力のこと。
これに対して、「知性」とは、その全く逆の能力、「答えの無い問い」を問い続ける能力のことである。答えなど得られぬと分かっていて、なお、それを問い続ける能力のことである。
そうであるならば、これからの「人工知能」の発達は、我々人間に、さらに深い「知性」を問うことになるのであろう。
田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院教授。世界賢人会議Club of Budapest日本代表。全国4700名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は、本連載をまとめた『深く考える力』(PHP新書)など80冊余。tasaka@hiroshitasaka.jp