3. 家庭学習習慣をつける
難儀なのが、学習習慣を付けることが主目的と思われる宿題である。日記や読み聞かせのような、日々少しずつやりましょうというもの。お稽古や学外の活動も多い都会の子供たちにとっては本当に必要なのか疑問に感じる。
特に読み聞かせについては、教科書や副読本の読み聞かせが多いが、親子で必ずしも楽しめない内容を読み聞かせて、本当に読書好きの子供に育つのか、現在の日本の若者の読書率を考えると、必ずしも良い影響があったとは言えないのではないだろうか?
4. 学校で実施する事が困難なので、家庭に託される宿題
そして、ワーキングマザーにとって一番辛いのが、夏休みに出される自由研究や読書感想文といったプロジェクト型の宿題である。普段から探究的な生活を送っていて、自由研究のテーマが豊富に思いつく家庭は楽しめるのだろうが、昨今自由研究キットやクラスが多くみられるように、自由研究が産業化しているきらいがある。
夏休みまでに興味関心が十分に耕されていない子供たちに、宿題だから、読みたくもない課題図書の感想文を書いたり、自分事のテーマにならない自由研究をやることの意義は微妙と言わざるを得ない。
理想的な宿題の出し方はあるのか?
宿題の大半を占める「定着目的」の課題については、本人のつまづきポイントに個別化された宿題が、最もロジカルなものと言えるだろう。が、ソフトウェアを使ってつまづきポイントを個別化しようとすると、単に暗記科目の習熟にしかならない可能性がある。
学びの目的がテストの点数であれば別だが、学んだ知識やスキルを応用できることで、将来の肥やしになる家庭学習を目指そうとすると、調べたり考えたり応用する時間が多い宿題の方が好ましい。
例えば、アウトプットを1つに制限しない宿題というのはどうだろうか?学んだ知識を使って、何か作ってみる、映像で説明してみる、など、アウトプットに自由度を持たせることで、子供たちがそれぞれの興味関心や学力レベルに応じたエントリーポイントから、応用につながる学びに関わってくれるのではないだろうか?
とはいえ宿題は必要か?学力以外の面での宿題の是非
我が家の話でいくと、宿題のない学校に転校して数年経つが、家庭がとても円満になったという、極めてポジティブな結果となった。
以前は、夕食が終わるとおきまりの宿題の会話になり、寝るまでの時間が戦場化することもあった。宿題で家庭の会話が終始するよりは、学校と仕事の1日の後、少しゆったりした時間を持つことで家庭で落ち着いた時間を過ごしたい。その方が子供の情緒的な安定や、自ら選択するチャンスを与えるためには効果的だと思われる。
大人になれば、効率的に仕事をすることが求められるが、どうして子ども時代には一斉宿題が主流で、個別化した学習効率を求めてはいけないのだろうか?
宿題の是非やあり方にについて、本質から見直す機会が増えることで、子どもにより豊かな家庭時間が増えることを祈ってやまない。