ビジネス

2019.03.05

星野源や石原さとみも 愛されるメガネを生んだ「使命」#スモールジャイアンツ

ブロスジャパン代表取締役社長 浜田 謙


職人の技を守りブランドを確立

とはいえ、「門外漢」だった浜田が、職人たちの信用を得るのは至難の業だった。そこで一計を案じる。2001年、世界最古の眼鏡メーカー・アメリカンオプティカル(AO)の日本総代理店として創業したのだ。

1833年創業のAOは、国内外の映画俳優や、アポロ11号の月面着陸の際にニール・アームストロング船長らが身につけたサングラスで知られる。眼鏡業界に身を置く人への訴求力は絶大だった。

AOの米国工場は、眼鏡のフレームを作れる職人がいなくなっていた。そこで浜田は、鯖江の職人に掛け合って復刻し、3年ほどの間、世界に供給した。「食えない時期」だったが、「職人と信頼関係を築くのが一番大事だった」。この経験を通してデザインを学び、04年、満を持して自社ブランドのBJクラシックを立ち上げた。


専用工場では熟練の職人技が光る

当時の腕ききの職人には「物は語るな、かければ分かる」という美学があったが、それでは世間に伝わるわけがなかった。一方で、眼鏡づくりは一般には知られていないことが詰まっていて、「部外者の僕には新鮮だった」。そこを丁寧に語れば、かけてみたいと消費者に思わせることができると感じた。

鯖江に必要なのは「クリエイティブディレクター」だと、自身の役目を定めた。地域の技術を結集し、哲学を発信する。その哲学に共感した人の口コミの連鎖が、ブランドを確固たるものにしたのは前述のとおりだ。

浜田の人生を変えた長男は、今春大学生になる。アトピーはすっかり治った。福井の空気と水、米で育ったおかげだと浜田は笑う。浜田自身も、もはや「よそ者」ではない。職人の言い値を値切らないという信念を貫き、技術を守ってきた結果、職人に「一緒に作りたい」と言わしめるまでになった。

「鯖江の眼鏡という価値あるものを世の中に認めてもらい、対価をいただき、職人たちに後継者を作ってもらうこと。それが僕の使命です」


浜田 謙◎1969年、京都生まれ。ブロスジャパン代表取締役社長。日本ハムのブランドマネージャーを経て現職。自社ブランドを多数展開し、クラシック眼鏡ブームを牽引。世界展開を進める。

ブロスジャパン◎福井県鯖江市で2001年に創業。1833年創業の世界最古の眼鏡メーカー「アメリカンオプティカル」の日本総代理店。17年には、新たな自社ブランド「EVE un BLUE」を発表。

文=秋山千佳 写真=吉澤健太

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