(c)Jérôme Prébois / ADCB Films
映画「天国でまた会おう」の冒頭は、1920年のモロッコから始まる。政府機関の尋問を受ける元フランス軍の兵士アルベール・マイヤールの回想という形式で、物語は進んで行く。彼の話は、まず1918年の第一次世界大戦、ドイツ軍と戦う塹壕での出来事に飛ぶ。上官のブラデル中尉の悪事に気づいたことから、中年兵のアルベールは塹壕に落とされ、生き埋めにされる。
年下の若い兵士であるエドゥアールが、アルベールを救け出すが、その瞬間、彼は爆撃を受け、顔の下半分を失うという重傷を負ってしまう。命は長らえたが、話すこともできなくなり、そのうえ自らの変わり果てた姿に、エドゥアールは家には戻りたくないとアルベールに訴える。アルベールはエドゥアールの名前を死んだ兵士とすり替え、戦死したものとして、彼の家族に手紙を出す。
戦争を推進した者たちへの復讐劇
実は、エドゥアールの家は、パリのシャンゼリゼ通りに一軒家を持つ大富豪で、父親はいくつもの企業を束ねる資本家だった。幼い頃から絵の才能に秀でていた彼は、画家になることを熱望していたが、父親はそれを認めず、深刻な対立関係にあった。
戦争が終わり、パリに戻ったアルベールは、命の恩人であるエドゥアールの面倒を見ていたが、帰還兵に世間は冷たく、彼は元の経理の仕事にも就くことができず、デパートのエレベーター係として働き始める。そして、顔も言葉も失い、絶望するエドゥアールを立ち直らせるため、アルベールは彼に画材道具を与える。
(c)Jérôme Prébois / ADCB Films
近所に住む孤児の少女ルイーズとの交流をきっかけに、エドゥアールは再び生きる気力を取り戻し、その美術の才能を活かし、醜い自分の傷を隠すために美しい仮面をつくり始める。仮面をつけ、新たな人格を手に入れたかのように振る舞うエドゥアールだったが、ルイーズと考えたある計画をアルベールに打ち明けける。
それは、戦没者記念碑のカタログをつくり、国や地方の自治体に売り込み、製作費を詐取しようというものだった。エドゥアールにとって、それは戦争を推進した者たちへの復讐劇でもあった。当初は、犯罪に加担するのは嫌だと拒否していたアルベールだったが……。
物語はアルベールの回想形式をとっているため、時を順繰りに追いながら、小気味良く進む。そして、そのアルベール役を、監督のデュポンテル自身が演じているため、さらに快調なテンポを生み出している。衣装や美術も素晴らしく、画面の絵づくりも一幅の絵画を見ているように完成度は高い。とくにエドゥアールが顔を隠す仮面は、何種類も登場し、その都度、言葉を失った彼の心の状態を示すようになっている。
「戦争はいつも弱者に犠牲を強いる。一方、多くの企業家たちは戦争で甘い蜜を吸っている。この物語のエドゥアールの父親も同様です。主人公であるエドゥアールは、そういった社会の矛盾を糾弾し、告発するキャラクターなのです。原作でも描かれているが、金銭欲が強く、貪欲な少数の人々が世界を支配し、真面目に生きている人たちを苦しめている。その状況は、まさに現代の状況に通じるものがある」(デュポンテル)
脚本もデュポンテルが携わっているが、執筆にあたっては原作者のルメートルも参加して、共同で企画の開発にもあたっている。とはいえ、映画オリジナルの部分も多くあり、後半に登場するエドゥアールがホテルで開くパーティのシーンは、実に風刺と諧謔(かいぎゃく)に満ちている。ラストも原作とは異なるものだ。