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世界38カ国、800万人が愛読する経済誌の日本版

イラストレーション=ichiraku / 岡村亮太

損をすることがわかっていても、合理的な選択をすることができずに失敗してしまうことがある。避けられるはずの惨事はなぜ起きるのか。


米中は貿易戦争に突入した。米が関税率を上げれば、中国も上げる。
 
このニュースを見て、私はハーバード大学大学院のマックス・ベイザーマン教授のクラスを思い出した。教授はおもむろに財布から20ドル札を取り出した。これからオークションをやろうという。「普通のオークションと違って、2番目に高い値段をつけた人は、20ドル札をもらえないばかりか、自分のつけた金額を私に支払わなければなりません」と付け加えた。1ドルから開始して1ドルずつ値を吊り上げるルールだ。

「2ドル」「3ドル」……。教室の随所から手が挙がる。やがて2人のデッドヒートとなった。20ドルを超えた時点でクラスでは笑いが起こる。30ドルを超えると、クラスはむしろ静まり返り、2人だけの競りが淡々と続く。最終的に70ドルで落札。教授は最後まで争った2人に問うた。

教授:なぜ、君らは損をすると判っていて値を吊り上げ続けたの?

落札者:20ドルを超えた頃は、皆のウケをねらっていました。しかし、2番では損をするので、何とか落札して損を最小限に食い止めたい。そう思ったら引くに引けなくて……。

次点者:2人になった時点で、教授の「罠」にかかったと感じたのですが、手遅れです。途中でおりれば、自ら間違った方向に歩んでいたことを認めることになる。それに、皆が注目する中で負けたくはありませんから。

教授:最初は皆、20ドルを安く落札してもうけてやろうと思ったでしょう。でも競争がエスカレートすると、最初の目的が見失われて、入札相手を打ち負かすことに目標が転じ、悪い結果で終わる。このような「エスカレートの罠」は競争社会のどこにでも存在します。
 
私は科学研究の世界にもこのような「罠」は存在すると感じる。例えばSTAP細胞事件だ。ライバルの山中伸弥・京都大学教授らの開発したiPS細胞よりも簡単な方法で万能細胞を作れる大発見としてSTAP細胞は世間の注目を集めた。ところが、疑義・不正が指摘され、結果を再現できずにその存在は否定されて幕となる。
 
STAP細胞の研究は「イモリの体の一部を切除しても再生する。ヒトでは?」という素朴な疑問から始まったという。これは科学本来の目的に合っている。しかし、研究者らの目的は、「ライバルに勝つことに変貌した」と報じられるまでになった。途中で「罠」に気付いても後戻りできない。この事件は、自殺者までだす最悪の事態に至った。
 
オークションの話に戻ろう。では「罠」にひっかからないためにはどうするべきか?「私が1ドルで落札します。そうしたらクラス皆で山分けしましょう」なら、もうけは少ないが、クラスメイトは損をしない。しかし、教授はハーバード大のクラスで何十回もこの20ドル札オークションを実施したが、一度も負けたことはないという。
 
米中貿易戦争も「エスカレートの罠」を回避できなければ、最悪の事態に陥る。双方のリーダーのお手並み拝見だ。


うらしま・みつよし◎1962年生まれ。東京慈恵会医大卒。小児科医として小児がん医療に献身。ハーバード大大学院にて予防医学・危機管理を修了し実践中。

文=浦島充佳

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