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2019.03.03

「全力」とは自分の中のガラクタを総動員することだ|藤野英人

(左)藤井聡太七段(右)HEROZ社長 林隆弘


才能の壁と、「カリスマ」という誤解

私は真剣にピアノとか将棋とかをやっていたが、それで本当によい学びを得たと思う。それは、「努力は裏切らない」「努力をしても超えられない壁がある」という、相反する2つの学びだ。これらを同時に早期に学べたのはとてもよかった。

ファンドマネジャーとして私はとても努力しているけれども、決して天才ではない。私が自分をカリスマファンドマネジャーだと思ったことはないし、それははっきりいって誤解だ。自分よりも「優秀な」「天才」ファンドマネジャーは(それほどたくさんではないものの)それでも少なくない。

将棋の世界におけるプロの九段は、その世界では「神」だ。中村九段はほぼ同世代で、私にとっては“神様”そのものである。その彼が、「あなたと私は子供の頃は同じように将棋をやっていて、私はしがないプロ棋士、あなたは経営者。どこでそんなに差がついてしまったのでしょうねえ」とぼそっと話した。

はじめは意味がわからなかったが、決して嫌味ではなく、「あなたがうらやましい」ということだったと思う。神様にそう言われて少し驚いた(また、そう話せる彼のことをますます尊敬するようになった)。

プロの棋士やピアニストになりたかったわけではなかった。そもそも力も才能もなく、そのような選択肢すらもたず、ある意味、流れ流れて今の仕事をしている私からすれば、彼こそが神であり、尊敬崇拝の対象である。

切り口を変えれば、見える世界も変わるということなのだろう。結局は、今あるもの(才能とか経験とか知識とかその他、ガラクタのようなものも含めて)をかき集めてなんとかするしかないし、そのようなガラクタをあれこれやりながらウンウンやっていくしかない。

私はいつも運用報告書に「全力を尽くしてがんばります」と書いているが、「全力」とは「自分の中にあるあらゆるガラクタを総動員する」ということ。

将棋やピアノなどは、サポーターでいることもできる。プレーヤーとしてはすごくなれなくても、その彼らが活躍するインフラを支えられれば、それは同等かそれ以上のことかもしれない。天才プロ棋士とは違う形で、将棋界に貢献できるだろう。

さてさて、圧倒的に才能の差がある相手にボロ負けするのはわかっている。でももう一度、将棋ウォーズを立ち上げてひと勝負してみようじゃないか。


ふじの・ひでと◎レオス・キャピタルワークス代表取締役社長。東証アカデミーフェローを務める傍ら、明治大学のベンチャーファイナンス論講師として教壇に立つ。著書に『ヤンキーの虎─新・ジモト経済の支配者たち』(東洋経済新報社刊)など。

文=藤野英人

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