本は自己投資!


後に「サラエボ事件」と呼ばれることになるこの暗殺テロ事件をきっかけに、世界は第一次世界大戦に突入する。人類が初めて大量殺戮を経験した戦争だ。

大公が見舞いに行くと言い出さなかったら……、運転手が違うルートを選んでいたら……、いったん犯行を諦めた男がすぐ家に帰っていたら……いくつもの「もしも」を考えてしまう。

しかし、「歴史にifはない」とよく言われる。

事実、これまでの歴史家は、「歴史のif」に否定的な態度をとってきた。ところが本書で初めて知ったのだが、いま欧米では、この反実仮想の視点を取り入れた歴史学の潮流が生まれているという。イギリスの著名な歴史学者ニーアル・ファーガソンやアメリカのガヴリエル・ローゼンフェルド、キャサリン・ギャラガーなどがその中心だ。

歴史にあえてifを持ち込むというこの考え方はとても面白い。

歴史のifを考えるということは、当時の人々が想像した「未来」について考えることにつながるからだ。「現在」のわたしたちが「過去」とみなしているものは、当時の人々にとっては「未来」だった。その未来がなぜ選ばれなかったのか、実現しなかったのかについて考えることには意義がある。

それでも「過去」は変えられないが

「史実とされること以外に、別の未来がありえたかもしれない」

そう考えてみることは、歴史のなかで敗者とされる人々を救済することにもつながると著者は指摘する。歴史というものは常に勝者によって語られるが、ありえたかもしれない別の未来を想像することは、歴史の闇に消えていった人々の声に耳を傾けようとすることでもあるからだ。この指摘はとても重要だ。著者は次のように述べる。

“「現在」に生きるわれわれは、歴史上の人々にとっては「未来人」であり、「未来の他者」である。われわれの試みによって、救済の光が当てられた歴史上の「敗者」たちは、「過去」から「現在」へと呼びもどされ、最終的には「現在」のものの見方を変えていく。この意味において反実仮想は、過去/現在/未来のすべてを対象とした革命的なアプローチになりうるのである”(245ページ)

ただ、著者も注意を促しているように、歴史の中に埋もれている「未来」の可能性をすくいあげるのは「現在」に生きる私たちであっても、そこには「過去」の人々の視点がなければならない。「現在」の私たちに都合のいいように歴史を利用してしまえば、それこそ「オルタナティブ・ファクト」を主張する人々と変わらないことになってしまう。

「歴史のif」を考える際に大切にしなければならないのは、まずは客観的な事実にもとづいた歴史を踏まえることだ。特定のイデオロギーや民族の物語などにあわせて歴史を改変することとはまったく違う。

「過去」を生きた人々が夢見ていたことは何か。どんな理想を追い求めていたのか。そして、その願いはなぜ叶わなかったのか。そうしたことに思いを馳せながら歴史を見つめ直せばいろいろな発見があるはずだ。もちろんこの反実仮想の視点は個人史にも有効だろう。

あなたの人生の「もしも」は何だろうか?

読んだら読みたくなる書評連載「本は自己投資!」
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文=首藤淳哉

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