データ集めに奔走
当初から、フラットアイアンの背後にあったのは、病院向けのソフトウェア事業と、そのソフトウェアから得た情報を別の試みに用いるもう一つの事業を組み合わせるというアイデアだった。
別の試みとは、医学研究の推進に役立つデータを集積することだ。これは、遺伝子検査の23アンド・ミーと類似した事業モデルである。後者の場合、消費者は料金を払って自分の遺伝子検査のデータを手に入れるが、そのデータはその後、研究に利用され、製薬会社と共有される場合もある。ターナーとワインバーグは、製薬会社が重要な顧客になることは当初からわかっていたと語る。
難しかったのは、彼らの生まれたばかりの製品を医療機関に導入してもらうことだった。フラットアイアンの初期の製品を最初に採用した主要ながんセンターは、イェール大学だった。なぜ採用に至ったのか聞かれると、ワインバーグは二言で答えた。
「トム・リンチ」と。米製薬大手ブリストル・マイヤーズの研究開発を統括するリンチは当時、イェール大学のスマイローがん病院の病院長を務めていた。リンチは、研修医時代からの付き合いの医師たちから、ターナーとワインバーグに紹介されたときのことを覚えている。2人のアイデアには衝撃を受けたという。
「医療は、金融取引や製造業に驚くほど大きく後れを取っています」とリンチは語る。「7年前には、イェールの患者の何名が膵臓がんの治療を受けているか、リアルタイムではわかりませんでした。州に申告する際や、何年も後に国立がん研究所に申告する段になればわかりましたが。それが、何名が特定のがんに罹患しているのかリアルタイムでわかるようになるという話でした。あるいはより大切な、私たちがどのように患者を治療しているのか、患者の状態はその後どうなっているのか、患者のニーズに応える治験を提供しているのか──。そういったことがわかるようになるというのですから」。
さらに多くのデータを集めるために、2人は電子医療記録企業の買収に舵を切った。グーグル・ベンチャーズ(現GV)を説き伏せ、1億3000万ドルの投資ラウンドのリードを頼んだ。
このうちの1億ドルが電子医療記録を唯一の事業とするアルトス・ソリューションズの買収に充てられ、買収取引は14年5月に成立した。
同じ時期、ターナーとワインバーグは自分たちのデータ事業を一変させる人物を採用した。エイミー・アバーナシーだ。彼女は10年以上にわたり、がんに関する実世界のエビデンスを電子医療記録から得ようとしてきた。アバーナシーはデューク大学でそのためのプログラムを運営していた。
ターナーは、フラットアイアンでの仕事の頂点の一つは、アバーナシーら研究者たちが同社のデータを使用し、ある臨床試験の結果を完全に再現したときだったと振り返る。
フラットアイアンによると、同社が抱える患者集団のデータを使い、既存の複数の研究について、対照群(臨床試験で新薬の投与を受けない被験者のグループ)の結果を十数回再現できたという。同社は米食品医薬品局(FDA)とすら、直接仕事をしている。
製薬会社のための会社なのか
しかし、誰もがフラットアイアンの方向性に納得しているわけではない。ペンシルベニア大学の生命倫理学者で、医療費負担適正化法(いわゆるオバマケア)の立案を手伝ったエジーキル・エマニュエルは、フラットアイアンをトム・リンチに紹介した一人だ。
エマニュエルは現在も、ターナーとワインバーグのやろうとしてきたことを称賛しているが、2人はデータを使って患者のケアを向上させるシステムの構築には成功していないと考えている。
心配なのは、フラットアイアンが、より良い病院づくりの手助けをするのではなく、実質的に製薬業界のためのデータ収集サービスになってしまっていることだ。「彼らは、その部分の問題を解決しなかった」とエマニュエルは言う。「数多く存在するがんの臨床研究グループの大幅な効率化を図り、常に高い質を保てるようにするための企業にはなっていません」。
フラットアイアンが得る収益から取り分を受け取るべきだと感じる患者は存在する。乳がん経験者で患者の権利活動家のケイシー・クインランは、こう語る。「うんざりしています。製薬会社や保険者、彼らに付随するあらゆる第三者が私たちのデータを切り刻み、いじり回し、もうけているのに、私たちには何の分け前もないのですから」。これとは対照的な意見もある。
膀胱がん経験者のケン・ドイチは、「プライバシーを気にしているような余裕はありません」と言う。より多くの研究をいま行ってほしいと考えており、フラットアイアンが自分のデータを使うことに何ら異存はない、という。
すべては議論の余地がある問題なのかもしれない。フラットアイアンは確かに、研究に参加しない選択を患者に与えており、業務においても1996年に制定された「医療保険の相互運用性と説明責任に関する法令」を遵守しているという。
ターナーとワインバーグは、ロシュの財力があればフラットアイアンの5年計画を3年で実現できると考えている。また、ロシュは買収後も引き続き2人に完全に経営を委ねるという話もした。2人は満足だった。フラットアイアンには現在、がん治療薬の世界最大手の資金と専門知識、関心の後押しがある。そして、好むと好まざるとにかかわらず、米国のがん研究はそうやって進められるのだ。
ザック・ウェインバーグ◎共同創業者兼COO。ウォートン校の1年生の授業でターナーと出会う。学生の頃立ち上げたフードデリバリーサービス「イートナウ」の関連資産は現在「グラブハブ」の一部となっている。
ナット・ターナー◎共同創業者兼CEO。父親が石油会社コノコの地球物理学者で、子どもの頃引っ越しを何度も繰り返し、ルイジアナ州やオランダ、スコットランドで暮らした。中学生の頃からヘビの販売事業を行う。