村本:僕にはゲイの友達がいます。彼といるときに、「ゲイの人が〜」というと、彼は嫌な思いをするかもしれない。けれど実際には、ゲイ=その彼ではなく、彼は彼です。それでも彼のことを「ゲイの人」と呼んだら悪いと思ってしまい、「あ……」と戸惑ってしまうことがあります。
この一瞬の「間」、ゲイの友人を普段通りの彼として見るのを躊躇う瞬間こそが、絶対にいけないことだと思うんです。長い歴史の中で「ニグロ」といわれていた黒人の呼ばれ方は、「ブラックピーポー」、「黒人」、「アフリカ系黒人」というように変化してきました。それは誰か偉い人が決めたのではなく、なんとなくの世間のルールで変わってきたことですよね。
けれど、それによって彼らに対する思いがどの程度変わったかということには、疑問を抱いています。本当に変えなければならないのは、表面的な「言葉」ではなく、先ほどの「間」のような躊躇いを生んでしまう「思い」の方ですよね。
杉山:LGBTについてだって、最近は「彼氏いますか?」「彼女いますか?」ではなく、「パートナーいますか?」と尋ねるよう推奨されています。
けど、言葉を選びすぎると余計会話がしづらくなりませんか。僕の理想としては、女性に「彼氏いますか?」と聞いたときに「彼氏じゃなくて彼女はいますよ!」と当たり前のように言える社会です。
それが普通になれば、言葉の上では彼氏でも彼女でもどっちでもいいと思うんです。もちろん、そんな社会がすぐには実現しないから「パートナーいるの?」と尋ねるよう想像力を働かせた方が、短期的には不用意に傷つく人が減るということなのですが……。
明日のテーマは「自分の偏見に気づくためにはどうすべきか」。韓国のレーダー照射問題が起きた際の、日本と韓国の世論の差を見極めるために村本が起こした行動とは。
連載:LGBTからダイバーシティを考える
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