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──現地の生活にはすぐ慣れましたか。

はい、行ってみると、正直、想像を上回る快適さでした。ケープタウンに暮らすのは、ヨーロッパとカリフォルニア両方の雰囲気がある、海沿いの町にでもいるような感覚なんです。もちろん南アフリカ行きは冒険含みの選択でしたけれど、大きなイタリア人コミュニティもありましたし。現地のイタリア人、イギリス人、そして多くのアフリカ人たちと、すぐに意気投合しましたね。みんなすごく感じがよくて親切でしたよ。

──ホテルでの経験は?

これもおかげさまで順調でした。「シー・ファイブ・ブティック・ホテル」はオープン当時、すぐに5つ星を獲得したんです。今も、イタリア人経営者が運営しています。ここでは顧客との接し方やそのニーズを学ぶことができて、すばらしい環境だったし経験も積めましたが、このままずっとホテル業界でやっていこうという気持ちにはなりせんでしたが。

──では、ワイン市場にはどうやってたどりついたのですか。

あの時期は、まだワインのことは頭にはなかったんですが、ホテル業界以外で実業家としての道を歩みたいという気持ちだけはありました。

24、25歳くらいの青年たちが起業したりやめたりするのを見ていたんですが、うまく行かないとわかれば、グズグズしないで別分野ですぐまた起業する。そういう空気がどんどん伝播して行くような環境でしたね。

何よりも南アフリカでは、イタリアとは違ってお役所がそれほどうるさくなくて、40ユーロ(約5000円)足らずで納税者番号を取得できるんです。しかも3日かそこらで。支払い期限も即日でしたけれど。南アフリカでは、いろいろなことがゆっくり進んでいてまだ発展途上ではある一方、事業を興すには絶好の環境がありました。

とくにケープタウンの50kmほど東にあるステレンボッシュという都市には、アフリカトップと言われるケープタウン大学のほか、五指に入るステレンボッシュ大学、西ケープ大学、ケープ半島工科大学などトップレベルの大学がありました。

それもあって、人材の宝庫という意味で、シリコンバレーのケープ版、「シリコンケープ」と呼ばれています。まさに起業家にとっては楽園みたいな環境ですよね。

そして実は、ここはワイン生産地でもありました。

リシュモン会長との出会い、そして「ワイン版ウーバー」へ

──それで、起業を決めた、と。 

アルドの奥さんのモニカは広告会社を経営していたんですが、実はその会社を整理してフリーランスになったばかりでした。そこで彼女に、企業のありとあらゆるニーズ、たとえば名刺に始まり、ウェブサイトの構築、ブランディングなどなどに応える「何でも屋」のような会社を創業しないかと提案したんです。

そして、ぼくが経営を任されていたその「シー・ファイブ・ブティック・ホテル」の裏の事務所で一緒に仕事を始めました。

──そこから、事業拡大に動いたんですか。

はい。とくにスイスのラグジュアリーブランド・コングロマリット「リシュモン」会長のヨハン・ルパートに目をつけてもらったことが大きかったですね。この企業は、カルティエ、ジャガー・ルクルト、モンブラン、パネライ、ピアジェ、ヴァンクリーフ&アーペルといったそうそうたる高級ブランドを傘下に保有しています。

彼は乗用車の美術館「フランシュホーク・モーター・ミュージアム」を所有し、奥さんは種馬の飼育もしているという筋金入りの資産家です。

おまけにワイナリー1つを所有しているだけ出なく、別のワイナリーの共同経営者でもあるんです。そこで彼らのために、高級ワインのECサイトを開設しました。それがきっかけです。その後数年足らずで、今やっている「高級ワイン版ウーバー」のようなことを始めることになりました。

翻訳=大村紘代 編集=石井節子 写真=Forbes Italia提供

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