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──いまはイタリアに移住されていますが、そのきっかけを教えてください。

きっかけは、イタリア好きの父ですね。父親はIT関係の経営者でありビジネスマンだったので、子どもたちにはクリエイティブな職業に就いてほしかったようです。

中学時代まで絵画教室に通わせてもらい、油絵を描いたり石膏作品を作ったりしていました。自由に好きなモノを、好きなだけ時間をかけて制作できる教室が大好きで、将来クリエイティブな世界に行きたいなと子どもながらに思っていました。

父がイタリアに住むのが夢だったということもあり、私が高校に進学するタイミングで、家族4人でミラノに移住をすることに。

私はイタリアの美術高校(5年制)に通い始めましたが、もちろんイタリア語は話せないので、最初は周りの人が何を言っているのか分からなくて大変でした。それまでは喋ることが好きでしたが、言いたい言葉を発せない状況から人見知りになってしまいました。

校内で日本人は私1人だけだったので、周りは興味を持ってくれましたが、私が壁を作ってしまい、環境に慣れるまで3年ほどかかりましたね。

高校卒業後はグラフィックデザイナーやアートディレクターを目指すためにミラノのデザイン専門大学に通い、デザインの勉強をしました。

──ブランド立ち上げ時にはクラウドファンディングで目標金額の2倍以上の114万5800円を調達しました。これを始めることになった経緯を教えて下さい。

イタリア生活にも慣れて日本のことを忘れかけていた頃。高校生活最後の年に東日本大震災が起き、日本についてもう一度見つめ直すきっかけになりました。

学校では日本人が私1人だったので、みんなにとっては日本人=私なんだなと気づいて。そこから日本のために何かしたいと思い、校内で義援金を集め始めました。

そこから私の日本への関心は大きくなっていきました。大学時代は日本政府が「クールジャパン」を推進し始めた時期で、ミラノでも経産省運営の「Made in Japan」の商品だけを取り扱うショールームがあることを知りました。ちょうどイタリア語が話せる日本人を募集していたのでインターンをすることに。そこでECショップ運営も学ぶことができました。

卒業後もショールームで1年間働いたのちフリーランスになり、ミラノで日本関連のイベントを運営したり、キュレーターをやったりしていました。

ブランドを立ち上げた2016年は、日本とイタリアの国交樹立150周年。そして私たち家族がイタリアに住んで10年目の年でした。

この年に、これまでのような誰かのサポートではなく自分で何かを作りたい、始めたいという気持ちがありました。ファッション以外も考えましたが、私自身が小柄でぴったりのスカートがなかなかお店で見つけられなかったので、着物や浴衣みたいに巻いてたくし上げられるようにしたら、どんな人にでも合うのでは?と現在の巻きスカートを思いつきました。15年末のことです。

ミラノに日本人のパタンナーの友人がいたので、一緒に制作することに。約1カ月の準備期間でサンプルを作り、2月にはクラウドファンディングを始めました。「着物地に抵抗がある人もいるかも」という不安もありましたが、20〜50代の幅広い年代の人が支援してくれました。


文=督あかり 写真=小田駿一

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