スポーツ心理学で紐解く心の整え方

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2020年の東京オリンピックまであと1年弱。スポーツの話題については、これから世間の注目はより一層高まっていくことだろう。

しかし、昨今はスポーツのインテグリティについて、ニュースやワイドショーなどで耳にすることが多くなっている。昨年女子レスリングで大きなニュースになったパワハラ問題に端を発し、様々な場面でスポーツのインテグリティの低下、つまり「高潔性・信頼性」を損なうような事案が多々起きている。このことを、みなさんはどのようにお考えだろうか。

日本では、1964年の東京オリンピック開会式の日を「体育の日」と名付け50年以上がたつ。さらに、1964年の3年前にスポーツ振興法ができスポーツの発展が学校体育や部活、企業スポーツを中心に起こり50年が経過した2013年、やっと新しくスポーツに関する法律が改訂され「スポーツ基本法」が制定された。

その序文第1項に「スポーツとは世界人類共通の文化」であると記載されている。そう、スポーツとは「文化」なのである。しかし、スポーツを文化と考えている人がどれほどいるだろうか。スポーツはなぜ誕生し、なぜ今もなくならないのか。スポーツの何に人は魅了され、その価値は一体なんなのか。

この問いは、オリンピックで世界中の注目が集まるいまこそ、スポーツに対し真摯にどう向き合い、何をするべきなのかをあらゆる人々が今一度考えるべき問いである。

「文化」の英訳“Culture”は、フランス語系ラテン語の“Cultivative”という言葉に由来し、人として心豊かに生きる人間活動の総称として捉えられている。茶道や華道、囲碁、将棋など日本古来の営みのみならず、世界共通の音楽や美術、芝居なども「文化」である。つまり文化とは、文明の物質的で金銭的な豊かとは一線を画した別の人間としての豊かさを示す必須の概念だ。

それでは、今の日本でスポーツをひとつの文化として認識している人はどれだけいるか。私は、ほとんどいないのではないかと思っている。なぜなら、これまであらゆる場面において、文化的営みの文脈でスポーツが語られることがほとんどなかったからだ。私は、そのことがスポーツのインテグリティを貶める様々の事件の根幹になっているのではないかと考えている。

スポーツは勝負の世界。それゆえ、勝負に勝つことを目的にやっている人も多い。しかし、あらゆるスポーツにおいて負けた経験がない人は皆無。全ての人が一度は負けを経験している。

それにも関わらず、人々がスポーツに魅了され、脈々と受け継がれているのは、スポーツを通じて得られる満足感や奥深さ、チームワークなどといった内的な精神性を享受しているからに他ならない。それを感じることにスポーツの価値・文化性と高潔性を見出すとするならば、スポーツを「する」だけではなく、「観る」や「支える」といった関わり方もできてくるはずだ。

東京オリンピックのボランティア募集で、申込みの44%が外国人だったことからも日本人のスポーツへの関心度が低いことが伺える。文化として日本に根付いていないからだ。

文=辻秀一

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