「肉よさらば」 お祭り騒ぎのカーニヴァルの本当の意味

ニースのカーニヴァル。2019年のテーマは「King of Cinema」(Getty Images)


僕はニースでレストランを営んでいますが、今となっては宗教に沿って断食をする人には出会いません。ただごく少数ですが、この期間中お酒をやめたり、好きな食べ物を我慢したり、ちょっとした節制をしている人はいるようです。

一方で断食を言えばイスラム教。イスラム教の信者たちは、カレームとはまた違った形で、毎年ラマダンに断食をしています。

断食は身体や精神に何をもたらすのか。僕自身も経験がありますが、断食をすると体がリセットされるのか、感覚器官が研ぎ澄まれます。こうした効果も現在では科学的に立証できると思いますが、これを習慣として行ってきた昔の人々は、今よりもっと自らの感覚を大切にしていて、観察する力が強かったのではないか。歴史がその重要性を教えてくれるように思います。

それに比べ現代人は、五感を使って生活をしているとは言えず、視覚から情報を処理し、表層的なところばかりを見る傾向にある気がします。カーニヴァルにおいても、ただのドンチャン祭りだと思っている人が多いのが現実で、伝統を軽視することは過去の否定のようで残念に思います。と同時に、自分自身が日本の伝統をよく理解できていないことを省みます。



カーニヴァル、マルディグラ、カレーム、イースターと続く宗教上の催事は、習慣を大切に、季節と共に生きることの豊かさを教えてくれます。また、その宗教が地域や人種によってローカライズされていることは、気候風土が違う地球上で自然と共に生きることの大切さを物語っているようにも思います。そう考えると、宗教は現代で言うライフマガジンなのかもしれません。

そして、こうした一連の催事の軸にはいつも「食」がある。やはり食はすべての行動の原点で、大切にすべき事の始まりです。節制という断食からの喰い改め、せっかくなので少し取り組んでみようと思います。

連載:喰い改めよ!!
過去記事はこちら>>

文=松嶋啓介

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事