訴訟では特に大学側に対し、フラタニティーが入会許可の決定について性別を考慮することを禁止し、フラタニティーの運営や卒業生ネットワークに女性を完全に受け入れるよう要求。また、大学が学生組織による差別やハラスメントへの関与を禁止することも求めている。
心理学分野の研究でも、原告の主張は裏付けられている。例えば、フラタニティーで他の男性に囲まれた環境にいる男性は、女性をただの性的対象として見る傾向にあることを示す証拠がある。また、フラタニティーに所属する男性は性的暴行に及ぶ確率が3倍高いという統計もある。訴訟を起こした女子学生3人はいずれも、最初の学期に開かれたフラタニティーのパーティーで痴漢にあったと主張している。
他の大学は男子限定クラブを禁止
米国各地の大学では、男女別の社交組織が抱える問題に対する認識が広がっている。ウェズリアン大学では2015年、学内の全フラタニティーに女性入会許可を義務付け始めた。ハーバード大学は2016年、男女別のクラブに所属する学生については学内グループ幹部への就任を認めない方針を発表した。
同大の学長は当時、性別を理由に学生グループへの参加を禁止する行為は「ハーバードの多様な学生がもたらす約束を損なうような自己隔離の一形態を助長するものであり、卒業後、性差別が愚かで、無知で、理不尽なものだとされる社会に出る学生のためにならない」と宣言しており、これには私も完全に同意する。
学生はフラタニティーによって男性中心社会に足を踏み入れる
エール大学を訴えた3人は、男子限定のフラタニティーからの締め出しにより、学生が人気就職先からの内定を得る一助となる有力な卒業生ネットワークから女性が除外されるとも主張している。つまり、フラタニティーは男性中心社会の始まりであり、このネットワークから締め出された女性はキャリア開始前から既に不利益をこうむっているということだ。
エール大学にはフラタニティーの女性版である「ソロリティー」もあるが、フラタニティーほど有益なコネクションはない。私たちが歴史から学んだように、分離は平等ではないのだ。
フラタニティーが男女混合になれば、男女間の関係も進化するだろう。交流が増えることで、男女が互いを人間とみて親交を深めるようになる。女性は単なるデートやセックスの相手として見られることなく、生物学の試験のために徹夜で勉強したり、就職面接の準備にいそしんだりする姿が見られるだろう。ステレオタイプやモノとして女性を見る風潮は自然と減り、学生たちのその後の人生での決断や姿勢にも影響を与えることになる。