シネマの女は最後に微笑む


毎日レシピに忠実に作られていく料理のシーンは、とても美味しそうだ。ポーチドエッグを失敗したりロブスターを茹でるのに一騒動といった場面がコミカルに描かれる。ブログにはやがて読者のコメントがつき始め、徐々に人気が上昇し、ジュリーは遣り甲斐を見出すようになる。

このような、「時代を隔てて繋がっている二人の女性の小さなチャレンジと、それを暖かく見守る周囲」という前半の構図は、後半で少し様相が変わってくる。



世界は君中心に回っているわけじゃない

ル・コルドン・ブルーを卒業間近となったジュリアは同好の士である二人の女性と知り合い、3人で料理教室を立ち上げ、更に共同でフランス料理の本を出す話が持ち上がる。

しかしマッカーシー政権下、外交官ポールはあちこちに転勤を余儀なくされ、ジュリアの執筆は彼に同伴しつつの作業に。共同執筆者の間で内輪揉めが起こったり、やっと出版の話が持ち上がるも「長過ぎる」と言われて仕切り直しになったりと、道は険しい。

一方、ジュリーはブログが評判となったことで、かつてジュリアの本を手がけた伝説の編集者からの取材依頼を受けて大喜びするが、前日の仕込みでミスをして料理を台無しにし、会社を休んで作り直したものの、編集者からは悪天候を理由にドタキャンされてがっかり。

熱中型でやや子供っぽいところのある妻を優しく見守ってきたエリックも、八つ当たり気味に大騒ぎするジュリーに、「世界は君中心に回っているわけじゃない」とキレて家出。

ここでジュリーは、料理が大好きで公共機関勤務経験があって名前も似ていて‥‥という、有名人ジュリアと自分との表面的な共通点ばかりに目を奪われて、あたかも「主人公」になったつもりでいたことを反省せざるを得なくなる。

やがて評判となったブログがNYタイムズに取り上げられ、取材や執筆依頼が殺到した時、そのニュースに老いたジュリアが不快感を表明したことを、ジュリーは知らされる。

パイオニアとフォロワー

笑いを散りばめつつ実在の二人の女性のどちらをも立てる、ある意味無難なかたちで進行していったドラマの中で、ジュリーとジュリアの小さな不協和音を示すこの一点は、あたかも白いテーブルクロスのシミのように感じられる。

見る者からは、半世紀も前に料理本を書いて著名人となったジュリアより、もの書きへの夢を抱いてブログへの反応に一喜一憂している現代のジュリーの方が身近かもしれない。でもそうした「遠近感」に囚われていると、シミの存在は浮いたままとなる。

ジュリアの夢は、アメリカ人の豊かな食生活に貢献することだった。ジュリーが目指したのは、料理と文章という自分の得意分野で被承認欲を満たすこと。道を開拓したパイオニアはジュリアであり、ジュリーはフォロワーに過ぎない。その証拠に、冒頭とラストシーンに登場するのはジュリアである。

フランス料理を初めて実体験したアメリカ人主婦が料理本の出版にこぎ着けるまでの何年にも渡る苦労と、その本のレシピを一年かけて再現してブログにアップする作業の労力は、ドラマの中で一見平等に併置されているように見えても、やはり比べ物にならないのだ。

ジュリーのブログのヒットにジュリアが冷淡でも、それは致し方ないこと。レシピ再現を通じてさまざまなことを学び、何より美味しい料理を一年に渡って食べられたことに感謝しなければ。偉大な先人に心からの敬意を示すジュリーの笑顔は、「自分は主人公じゃない、でもそれでいい」と言っているようだ。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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