田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

田坂塾塾長の田坂広志氏

2000年に、『こころの生態系』という書籍で、臨床心理学者の河合隼雄氏と対談をしたときのことである。

「人間集団を相手にしたグループ・セラピーでは、メンバーの心が互いに複雑に結びついた『心の生態系』とでも呼ぶべきものに処することになりますが、それに、どう処すれば良いのでしょうか」

その筆者の質問に対して、河合氏は、いつものように、飄々とした風情で、次のように答えた。

「そのときは、全体の『重心』という考え方をすると、一番分かりいいんです。重心はどこにあるかと、ずっと考えていくんです。人が集まっていると、そこにどこか重心があるんですね。そこを見ていたらいいという場所があるんです」

この河合氏の答えは、日々、企業や職場の「心の生態系」に処している経営者やマネジャーにとっては、一つの深い示唆を与えるものであろう。

では、どのようにすれば、その「重心」を見出すことができるのか。

もとより、この問いに、安易な答えはないが、筆者の心には、マネジャーや経営者としての永年の歩みから学んだ、一つの答えが浮かぶ。

自分自身の「心の重心」が定まること。

会社の社員や職場のメンバーに対して、どのような心の姿勢で処するのか。その腹を定め、自分の中から迷いが消えたとき、不思議なことに、その職場の「心の生態系」の重心が見えてくるのである。

では、その「心の生態系」の重心が見えたならば、我々経営者やマネジャーは、何をするべきか。やはり、臨床心理学の世界で語られる一つの寓話が、そのことを教えてくれる。

それは、心理学者のユングが、宣教師リヒャルト・ヴィルヘルムから聞いたと言われる、「雨降らし男」の寓話である。

中国の片田舎の村で、長い旱魃のため雨が降らず、村人が困っていた。そこで、村人は「雨降らし男」を呼んできて、雨を降らしてくれるように頼んだ。

すると、その男は、その村の片隅に小屋を作り、何も言わず、その小屋に籠ってしまった。

しかし、不思議なことに、男が小屋に籠って3日目に、村人が待ち望んだ雨が降り始めたのである。その雨に村人は大喜びし、「雨降らし男」にお礼を言うと、その男は、次のように答えた。

「あの雨は、私が降らしたのではない。この村では、天の秩序に従って村人が生きていなかったため、雨が降らなかったのだ。そして、その影響を受け、この村にやってきたとき、私も天の秩序に反する状態になった。そこで私は3日間籠って、私自身が秩序の状態になるのを待った。すると、自然に雨が降ってきたのだ」

この話を聴いて、東洋的な神秘の物語と思われる読者もいるだろう。しかし、この物語のようなことは、実は、我々が、しばしば、会社や職場において経験していることでもある。

会社や職場において、社員やメンバーの「心の和」が乱れているとき、すべてがうまく動かなくなるときがある。

しかし、そのとき、無思慮に、あれこれと働きかけるのではなく、まず、その会社や職場の中心にいる経営者やマネジャーが、自身の「心の静寂」を取り戻す努力をする。

実は、それだけで、その職場に「心の和」が回復し、物事がうまく動き出すことがある。自身のマネジメントを振り返るとき、そうした経験を思い起こす読者は、決して少なくないだろう。

では、なぜ、そうした不思議が起こるのか。筆者は、その問いに答えることはできない。

なぜなら、マネジメントとは、究極、人間の心に処する営みであり、人間の心の世界は、常に、我々の想像を超えた深みを持っているからである。


田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院教授。世界賢人会議Club of Budapest日本代表。全国4700名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は、本連載をまとめた『深く考える力』(PHP新書)など80冊余。tasaka@hiroshitasaka.jp

編集=Forbes JAPAN 編集部

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