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2019.02.14

「災害xクリエイティブ」神戸から世界へ広がる新しい防災活動

永田宏和


2度の被災経験から

1995年1月17日早朝、永田が家族と暮らしていた大阪では震度4強の揺れがあった。テレビをつけるとぎょっとした。震源地は地元の近く。激しい揺れを中継するNHK神戸放送局の裏には、姉が住んでいた。

「探しに行かなくては」。連絡がつかず心配する母を連れ、その日のうちに車で神戸に向かった。高速道路は大渋滞だった。尼崎まで辿りついたものの、結局8時間ほど立ち往生して大阪に戻ることに。その後姉が夫の親戚宅に避難していることが分かり、数日後に大阪の親戚と共にスーパーカブで物資を届けた。神戸にあった実家は全壊。周りの被害も甚大で、廃墟と化していた。

大手ゼネコン「竹中工務店」で建築士をしていた永田は、入社2年目の働き盛りだった。平日は京都や大阪での仕事が忙しく、休日になると実家の再建に奔走した。

一方で大阪市立大学で都市計画、大阪大学大学院でまちづくりを学んだ経験から、「被災地である地元の役に立ちたい」という思いに駆られていた。

被災地の工事業者は不足し、近所でのトラブルも目の当たりにした。建築士として家屋の損壊診断もできるし、まちづくり人材としてもボランティアに関われる。選択肢はいくつもあったが、当時は自分の生活で手一杯だった。「震災後に自分は何もできなかった」。そんな後ろめたさがあった。

それから10年。2001年に退社し、まちづくり・建築・アートイベントの企画プロデュース会社を設立して数年経った05年のことだった。神戸市主催の震災10年目の記念事業として、子供向けのアートプログラムを開発するオファーがあった。「自分の番がきた」。1年がかりで「楽しく率先して行きたくなる防災訓練のイベント」を企画した。

こうして生まれたのが、防災ワークショップとおもちゃの交換会を組み合わせた「イザ!カエルキャラバン!」だ。


家族や友達と楽しみながら防災知識が身につくイベント「イザ!カエルキャラバン!」。写真はチリでの様子。

子供たちに何を伝えるのか。なぜ神戸で行うのか。その意義を探るため、防災を学ぶ学生21人と共に被災者のヒアリングから始めた。対象者はあの手この手で探した。神戸の実家で母が開いていた書道教室の生徒、神戸勤務をしていた元同僚、消防士、料理専門家……。50人にインタビューを重ね、117人のアンケートを行った。

避難生活や救援経験など多様な話を聞くことで、バケツリレーや家具の転倒防止、紙食器作りなどワークショップに生かした。カエルキャラバンはこれまで36都道府県で開かれ、500回ほど支援した。さらにインドネシアやチリ、ネパールなど世界21カ国にも広がる。

11年3月11日は防災教育をテーマとしたシンポジウムで東京出張中だった。ちょうど永田が「カエルキャラバンの活動は世界に広がっています」と説明していた時、長い揺れがあった。永田は帰宅困難者に。会場から1時間ほど歩き、知人の単身寮に一泊して翌朝帰宅した。震災当日、コンビニやスーパーから食料品が一斉になくなった。「震災は忘れた頃にやってくる」。東日本大震災以降、東京でも防災熱が高まり、永田の元には企業や自治体、地域団体などから多くの相談が舞い込むようになった。
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文=督あかり 写真=OGATA

この記事は 「Forbes JAPAN 世界を変えるデザイナー39」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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