自民党のシンクタンクの設立に関わった際には、党内部で2005年の郵政選挙を経験するなど政治のダイナミズムを体感した。党内外を通じて、日本の政治や政策形成を変えられることも実感できた。さらに、2009年の総選挙では、日本でも本格的な政権交代が起き、与党から野党になることの意味も知った。
2000年代には、新しい政治への高揚感と鮮明な期待と共に、日本の政治や政策形成過程、そして政策自体も変えられるという確信をもっていた。
しかし、2012年の政権再交代以降、国民にも日本社会全体などからも、改革への厭世観や不信感が生まれ、現状に大きな問題・課題があっても(実際にあるのだが)、変革や改革への雰囲気は、雲散霧消してしまったように感じられる。
さらに近年のAIやブロックチェーンなどの新しいテクノロジーの進展や、それらを活かした国や地域の先進事例などを見たり知ったりするにつけて、最近まで世界で先端を走ってきたと思っていた日本が遅れをとったと言わざるをえない。
だが、何もしないことは現状を受け入れることに等しい。民主主義や政治の要諦は、「倦まず、弛まず、諦めず」であるとも考えている。この国の政治や政策作りの仕組みを再構築すべき時期である今、次のような方策を考えていきたい。
仕組みづくりで最も重要なのは、やはり政党ではないか。政党は、社会の利害や考えを反映する仕組みであり、本来は国民・有権者に最も近い存在であろう。だが日本では、利害関係のある団体・組織に近いことはあっても、国民・有権者に寄り添った存在であるとは言えない。
第二次世界大戦後の日本はキャッチアップ状態にあり、高度経済成長の中全体のパイが拡大されている時代においては、政党や行政が国民・有権者から離れた存在であっても、国民全体がメリットを得られる政策や政治がそれなりに形成できた。
ところが、80年代後半以降、その仕組みは完全に行き詰まり、政治主導、省庁再編や小選挙区制などの仕組みが構築され、現在に至っている。実はその過程で大きく変わらなかった(変われなかった)のは、政党ではないだろうか。
特に1994年の小選挙区制導入をきっかけとして、政党と国民・有権者との関係性は変わるべきであった。既存政党内にあった派閥の力は弱まったが、政党の代表を選ぶ仕組みは大きく変わらなかった。派閥が弱体化した分、議員候補の発掘・育成、党のリーダーの育成・取捨選択・選別プロセスが安直化し、政治家の能力も低下・弱体化しているように思う。
では、これからの社会で必要とされる新たな政党のかたちは、どのようなものか。
その際、イタリアの第一党であり、連立政権を構成する政党「五つ星運動」が参考になるのではないかと考えている。五つ星運動については、書籍『日本が売られる』(堤未果著、幻冬舎新書、2018年)、記事「イタリア:五つ星運動と同盟の極右連立政権にみる欧州の苦悩 移民問題であなたは人権を語る資格があるか」(今井佐緒里、Yahoo!ニュース、2018年6月5日)、「イタリア「五つ星運動」連立政権はどの党と? 現地では『再選挙説』も」(山田厚史、週刊朝日、2018年3月30日)などを参照してほしい。