丸の内の秋風に滑空する赤とんぼに見惚れていると、スマホに着信があった。「先生、大成功です。」声の主は以前の大学の教え子だ。30歳代の若き起業家G君である。
昨年5月23日、日経平均が1,143円の歴史的下落を演じ、反アベノミクス論者たちが一斉に、それ見たことか、と叫びだしたとき、G君は株価指数の投資信託ETFを購入したのである。現在、2,000円ほどの含み益を持っている。まだしばらくは保有するという。
G君のようにアベノミクス効果を享受した者は多い。東京証券取引所の株式時価総額は、一昨年の衆議院解散直前に比べてほぼ2倍になった。国民が加入する年金資産の価値はぐんと上がった。今年1月に導入されたNISA(少額投資非課税制度)は、1,000万口座、2兆円に迫っている。雇用者数はこの1年間で100万人以上増えた。為替は1ドル80円がいまや110円の水準、円安の寄与もあって上場企業の業績は絶好調だ。ちなみに10円円安になると、上場企業の経常利益は約20兆円押し上げられる勘定になる。
しかし、最近は反アベノミクスの著作や論考が花盛りである。曰く、景気回復の兆しはアベノミクス以前からあった、金融緩和は効果を挙げていない、大企業が潤うだけで勤労者に恩恵はない、遠からず大破局がくる、あげくには「実証に欠け無理論の上に立つもの」(『アベノミクス批判』伊東光晴、岩波書店)とまで罵倒される。
世界的なベストセラー、トマ・ピケティの大著『21世紀の資本論』の影響も大きいのだろう。同書は資産保有者の有利性が大きな経済格差を生んでいることを歴史的実証的に精査し、その解決法として累進性の強い富裕税のグローバルな導入を提唱している。ピケティはフランス社会党のブレーンともいわれる。
アベノミクス推進派も反対派も、見ている統計数字やデータはほぼ同じだ。数字は多種多様だから、その組み合わせ方や取り上げ方で結論は異なりうる。そこで問題になるのが、どのような思想で数字を見るのか、どのような目的意識でデータを加工分析するのか、である。実は論者の理念を織り込んだ結論があらかじめ存在し、数字を材料に、難解な理論を道具にしながらもっともらしくその結論を導いているのではないか。
こうした方法論自体が間違っているというのではない。そもそも、社会科学はそういう性格のものかもしれない。したがって、大切なことは百家争鳴下の眼力は、さまざまな論者の思想や理念が奈辺にありや、を見極めておくことにある。経済を見る力は経済理論だけにあるのではない。政治や人間心理への洞察が不可欠になる。
実務家にとっては、純粋経済理論はあくまでも説明用具か舞台装置、肝心な決断の際には本人の経験値と感性の比重のほうが高い。だから「経済予測は基本的にあたらない。外れたことより外した理由が問題」(『アベノミクスの終焉』服部茂幸、岩波新書)と平然と喝破する経済学者には違和感がある。ビジネスはその真逆、「あがってナンボ」だ。
アベノミクスを純粋に経済理論だけから論じるのはあまり意味がない。解析的な理論的フレームの衣を着た政治だからだ。アベノミクスではなくアベノポリティクスとして理解すべきである。そしてその推進理念は日本の成長であり、民間活力とグローバルな市場の活用である。対して反アベノミクス派の大半は、成長よりも分配、競争より保護を重視する反資本主義の立場だ。彼らの所論も経済理論というよりイデオロギーに近い。
ノーベル経済学賞の歴代受賞者を調べながらふと思う。いかにも高邁なTheory for theory’s sake―理論のための理論―の隘路に入り込むことなく、もっと広い視野でアベノミクスを評価しなければならないのである。