ネーミングが世界をつくる


そもそも椅子が世界中に広く普及したのは、ここ200年くらい。ギリシャ、メソポタミア、エジプト、アステカの文明にも椅子はあったが、権力と富の象徴物として、統治者や一部の特権階級しか椅子に座ることはなかったらしい。

産業革命発祥の地イギリスでは、工場労働者を養成するため、ヴィクトリア朝時代に教室に生徒を集め長時間椅子に座らせて注意を逸らさせず授業をするという、現代の学校の仕組みをつくった。校長先生が椅子に座らない生徒を虐待して殺すことを禁じる法律まであったというから、当時の、椅子を使用することの不自然ぶりが窺い知れる。

ということは、「人新世」とは、ヒトが椅子に座るようになった時代であり、その結果としてわれわれは、腰痛や肥満がもたらす生活習慣病に苦しめられるようになった。

「人新世」の化石は鶏の骨

約1万年前の人類の定住革命は、農耕革命と重なる。二足歩行をはじめたヒト族の800万年の歴史に比して、種子をまいて収穫した作物を食べられるようになってまだ800分の1しか経っていない。もともと歯は穀物そのものとそれを食べる頻度に耐えうるほど強く出来ていないらしい。穀物は虫歯の原因になるのみならず、現代の飽食の高カロリーの元で、やはりヒトの身体にとっては過剰過ぎるようだ。

このような著者の言説に接し、感慨深く思った。人類史の長いスパンで見るならば、人間はまだ椅子にも糖分にも慣れていない。人間の身体は、生活環境の変化への適応には万年単位で時間がかかるのだから。

昨年12月に英国王立協会のオープンアクセス誌「Royal Society Open Science」に掲載された論文によると、白亜紀のアンモナイトのように、「人新世」を代表する化石は、鶏の骨になるだろうという。

いま世界中で最も広く食べられているのはチキンで、年間658億羽が食用に殺されているのだそうだ。この食用チキンであるブロイラーという種は、人間の集中的な介入により、人為的に改変された骨格になっているらしい。まさに人間の活動が地球環境に大きな影響を与えるようになった「人新世」の典型例と言えるだろう。

昨年から世界的なムーブメントになっている「脱プラ」も、プラスチックという人工物が海洋汚染を拡散したり、生物体内に蓄積することを防ごうという動きだ。しかし、プラスチックは自然分解されずに半永久的に残る。人間は自然を変え過ぎたことで、自然の中で生きる場所を自ら失いつつある。

後世の高度な知的生命体は、現代の「人新世」の地層を分析し、「チキンとプラスチックの時代」と呼ぶのだろうか。

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文=田中宏和

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