いいスピーチとは、お客(聴衆)の期待に応えるスピーチであり、それを短い時間のなかで大谷選手はまっとうした。アメリカの場合、まずその場にいる全員に謝辞が送られることが期待される。さらに、とくに謝辞を送るべき人間(たとえば全米野球記者協会関係者)には、それなりに固有名詞や、謝意の理由を示すことが期待される。
当然、チームメートや、今回、他の賞を受賞した人への賞賛を具体的に口にすることも期待される。また、名前を呼ぶ場合には、絶対に発音を間違ってはいけない。さらに、ここがアメリカ的だが、公的な謝意のあとは、プライベートな謝意が期待され、大谷選手は、日本から出席した両親に対する感謝をきちんとマイクの前で語った。
実は、ここが当日もっとも拍手の多かったところで、こういうプライベートな、ナマな人格がこぼれてくるところにアメリカ人は感動し、そういう期待も持つ。
上着のボタンを留めてから話す
さらに、皆が大谷選手に期待する動作や性格も、スピーチ上でも表現しておく必要がある。
打席に入るたびにヘルメットに手をやって審判に敬意を表する大谷選手。フォアボールで歩くとき、バットを投げ捨てるのでなく、バットボーイに手渡しをする大谷選手……。アメリカ人が1年間見てきて、とりわけ大きな驚きと好感を抱いてきた謙虚で礼儀正しい「翔平イメージ」にも、大谷選手はスピーチでは応えていた。
それは、自分の力を自慢するようなフレーズがスピーチの中にないことはもちろんだが、いちばん現れていたのは、彼が上着の前のボタンをきちんと留めてからスピーチしたことだ。ビリー・エプラーGMでさえ、ボタンを留め忘れているなかで、さりげなくボタンを留めて背筋を伸ばしている姿を聴衆はちゃんと見ている(トランプ大統領もたいていボタンを留めていない)。
先日、テニスの大坂なおみ選手が全豪オープンで優勝した時も、「ハロー……」と頼りなく、自信なさそげで、冒頭から笑いをとり、聴衆の心を掴んだ。あの第一声は英語を母国語としている人間には強烈だ。
また彼女は、自分はスピーチがとても苦手だと自分の弱点をネタにして笑いを誘った。大坂選手の場合は、英語が第一言語なので、大谷選手とはアプローチが違うが、やはり「けっして威張らない」という、ファンが彼女に求める日本的な美徳も、やはりスピーチの具体的な中身としてしっかり押さえている。
全豪オープン終了後、トロフィーを手にする大坂なおみ(Photo by Recep Sakar/Anadolu Agency/Getty Images)
スピーチは自分をカッコよく見せるためのものではない。聞き手があって成り立っているものだ。それがわかっていてもできない人が多く、喋り過ぎたり、見苦しい魂胆を見抜かれたりと、アメリカ人でもたくさん失敗をおかしている。
大谷選手と大坂選手のスピーチ術は、変化球を投げようとか、高速サーブを打とうとしない。あくまで相手が取りやすい普通のキャッチボ―ルやラリーを目指すところにこそ、人は好感を持つことを改めてアメリカ人に教えている。
このスピーチで、アメリカには2人のファンがますます増えたはずだ。
連載 : ラスベガス発 U.S.A.スプリット通信
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