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2019.01.31

大阪万博プレゼンターの建築家が語る「2025年は日本再起のラストチャンスだ」

Photo by Tomohiro Ohsumi/Getty Images

私は建築家としていま都市の設計にも携わっていますが、根底にあるのは生まれ育った千葉の埋立地での経験と、すぐその隣にあった昔ながらの漁師集落への憧れです。無機質なニュータウンにない時代を超えて、蓄積された人の思いとその形やモノとしての体現。この複雑さをデザイナーが形だけ再現しようとすると、必ず何かを取りこぼしてしまいます。一人の人間では達成できない「不可能性」をいかに再現するか。それをずっと考えてきました。

いま最もその可能性を持っているのが、デジタル技術ではないでしょうか。一般的にデジタル技術は物事の制御に用いるイメージが強いですが、私は正反対の働きを求めています。コンピュテーショナルデザインの魅力は、作り手にも制御できない「偶発性」をある程度デザインできることです。

例えばうさぎの模型をつくるとき、精微な手の動きで耳の形や肌触りの精度を高めることが作者の仕事でした。一方、コンピュテーショナルデザインは、うさぎの遺伝子自体を操作します。体表を金属にすることも、耳を5本にすることも可能。これまでの制約を超えた調整に慣れてくると、「創発」を扱える感覚が育ってきます。

コンピュテーショナルデザインでは、アルゴリズムを通して間接的に形を扱います。それが作品の設計をアウトプットし、建築物がつくられる。作り手と作品という一対一の関係の間にアルゴリズムが加わることで、個人では思いもつかないデザインが生まれる可能性が広がりつつあります。

コンピュータというと、どうしても自動化や最適化という感覚が先行しますが、むしろより感覚的に、感覚を超えた可能性を探索できるようになってきているのです。

コンピュテーショナルデザインは、すべての要素を積み上げて決定していくこれまでの設計とは根底のルールが全く異なります。アルゴリズムを有効に使うには、完全に制御しようとするよりも、「そこそこ」コントロールしながらシステムに身を委ねる新しいバランス感覚が大事になってきます。

自由と制限との因果関係が全く異なるゲームをプレーすることで、デザイナーはどんな価値体系を身につけるのか。あるいは世界にどうアプローチすることになるのか。私がやっているのは、その実験だと思っています。

すべてを制御せずにシステムに身を委ねる手法は、決して制作に限った話ではありません。

20世紀はトヨタやパナソニックといった大企業が新しい技術を囲み、コントロールすることで質の高い製品を生み出した時代でした。しかし、いまは違います。ソフトウェア業界では個人がオープンなプラットフォームを用意すれば、そこに集まる優秀なクリエイターが素晴らしいアウトプットを出してくれる。いくら大企業が最新技術を囲い込み型で開発しても、有効なオープン環境の開発スピードに追いつけない時代になりつつあります。
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構成=フォーブス ジャパン編集部

この記事は 「Forbes JAPAN 世界を変えるデザイナー39」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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