また、こうして朝から晩までこの家にいると、1日の間に次々と親戚や地元の友人たちが顔を出しにやってきて、周囲の人たちとも話す機会ができると、去年あんなによくしてもらっていながら、なんと彼らのことについてほとんど知らなかったことに初めて気づく。
ピヌッチャは隣村の元美容師、ジュリオは地元の元郵便局員で、婚活ダンスパーティで知り合ったのだとか。ピヌッチャのお父さんは、この辺りで最初にタクシーを走らせたタクシー会社の社長さんで地元では名士のようだ。
しかし、そんなことなど、自らは今までひと言もひけらかさず、常に謙虚に振舞っていたピヌッチャこそ、育ちの良いお嬢様だったに違いない。
イタリアを支える民の力
この家はジュリオの生まれ育った土地を受け継ぐために、古い家屋を立て直しB&Bを営みながら、ローンの返済に充てているのだそうだ。郵便局員を早期退職したジュリオと2人で、娘たちの反対を押し切ってB&Bを一から始めた当初は、毎日が死に物狂いだったという。
「昔はこの辺りの名物っていえば、工業製品のチョコレートくらいだったけど、ここ10年前くらいからのワインブームで、世界中からの旅行客が一気に増えて、この辺りも見違えるほど豊かになったわ」
ピヌッチャはそう語る一方で、こうも言う。
「けどね、だからといってけっして奢ってはダメ。身の丈にあった毎日を、日々精一杯生きることこそが大事」そして「そういえば、宿泊代もずっと値上げしてないわ」と続け、笑った。
今でこそ、白トリュフに、バローロ、バルバレスコに、ミシュラン級のレストランにと、イタリアのドル箱とも称される地域だけど、その繁栄と栄光をこうして人知れず下支えしている人たちがいることを忘れてはならない。そしてそんな地方の村々の民の力こそが、イタリアという国の揺るぎない底力なのだ。
ミラノやローマのような大都市だけ訪ねていたらわからないイタリアの真の実力は、田舎に行くほど目の当たりにする。料理も、文化も、そして人の生き方もしかり。以来、私が、ますます田舎へ、田舎へと料理修行の場を求めはじめるようになったのも、もしかしたらピヌッチャとの出会いがきっかけだったのかもしれない。
連載 : 会社員、イタリア家庭料理の道をゆく
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