観光客が意気揚々と出かけて行ったあと、ひと息つけるはずのピヌッチャが、再び台所でゴソゴソし始めたかと思うと、私にこんな声がかかる。「リッツ、これ食べたことある? カステッロの料理を習っているあなたに、こんなものを出すのも恥ずかしいのだけど……」朝しか自分の手料理を披露するチャンスがないとばかりに、私には特別に「朝食第二部」が始まるのだ。
「季節はとっくに終わったはずなのに、今朝、畑でひとつだけ見つけたのよ! あなたにどうしても食べさせたくて」なんて具合に、季節の名残のズッキーニの花をフライにして出してくれたりする。
チャチャっと即席でつくった生地にさっとくぐらせて揚げただけのフリットは、確かに手の込んだカステッロの料理とは違うけれど、シンプルなのにたまらなく優しくて美味しい。とっくにお腹いっぱいなのにペロリと完食してしまう。
愛犬が小さなトリュフを掘り当てた
深夜に及ぶ激務と修行に耐えられたのも、こうした「イタリア一すごい」の朝食のおかげだったのは言うまでもない。この朝の至福の時間を少しでも長く味わっていたいところだが、その後は慌ただしくカステッロへ出かけ、それきり深夜まで戻れない。
そんな私は、ひとつだけ入口が外に面している、例えて言うなら門番みたいな部屋に居候させてもらっていた。ここであれば母屋を通らなくて済むので自分の部屋の鍵さえあれば、真夜中に帰宅しても迷惑をかけることがなかったはずなのだけど、深夜1時や2時に帰っても、母屋の電気が消えていたことはない。
それどころか、必ずジュリオがグラッパ片手にテレビを見ながら待っていて「お帰り。疲れたかい? 何か部屋に足りないものはあるかい?」と聞いてくれて、私が部屋に入って鍵を閉めたのを見届けてから母屋の施錠をするのだった。
まるで娘のように私を支えてくれた夫妻なのに、ふりかえれば、ここで撮った写真が驚くほど少ないのは、ここにいた時間自体が少ないからだろう。
「せっかくいい季節にランゲ丘陵に来てるのに、うちとカステッロの往復しかしていないでしょう? リッツに少しでも時間があれば、いろんな街を私が案内してあげるのに」そう言って残念そうにしてくれるピヌッチャの気持ちを無碍にせざるを得ないことが心苦しかった。
いよいよカステッロでの修行の最後の日、「最後のチャンスだから」と、朝食後のほんの30分を利用して、ジュリオがトリュフ狩りに連れて行ってくれた。雨あがりのぬかるんだ林の中、ジュリオと愛犬の後をついていくだけで早くもズボンは泥だらけ。でも厨房で働き詰めだった私には湿った空気さえ気持ちがいい。
「あるぞあるぞ〜。どこだ? あそこか? あるぞあるぞ〜」日本語にすればそんな感じだろうか。
独特の抑揚をつけたジュリオのかけ声に煽てられ、犬は小さなトリュフを数個掘り当てた。金のネックレスをジャラジャラつけた金持ち卸し人がカステッロに売りにくる白トリュフとは雲泥の差だけれども、その香りは素晴らしく芳醇で、私には何倍も価値のあるトリュフに思えた。