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会社員、イタリア家庭料理の道をゆく

18年前、伊ピエモンテでお世話になったB&Bのマンマ、ピヌッチャ

ピエモンテでの修行時代を振り返る時、もうひとつ、忘れてはならない場所がある。丘のてっぺんのカステッロが天上の貴族の館であるならば、ここは、下界のあったかくて優しいマンマの家。

18年前、憧れのカステッロの厨房に身ひとつで飛び込んだ時、女主人のリゼッタが「長逗留するのにリーズナブルなところを」と、ふもとの村のB&Bを紹介してくれた。

ノッチョーラ(ヘーゼルナッツ)農家のジュリオとピヌッチャ夫妻が、畑仕事の傍ら営む小さなこの宿から、私は毎日、丘の上のカステッロまで通い、夜遅くに帰ってくるという生活を送っていたのだが、この夫妻の存在なくしてはカステッロでの修行も最後まで果たせなかっただろう。

朝食しか出さないB&Bだが、この一帯でこうした宿は、マイカーで国境を超えてワインをしこたま買い込みにくるような旅慣れたドイツ人やスイス人のグループ客に需要がある。特に白トリュフのハイシーズンは、ほぼ毎日満室。すべての客が一堂に会する朝食時はテーブルが一杯になる。

「このシニョーラはね、すごく面白い体験をしに来ているんですよ。日本で普段はサラリーマンをしてるのに、休みを取って料理の勉強に来てるんです。しかも毎年ですって。あの働き虫で有名な国で、信じられない冒険家でしょう?」

ピヌッチャが新しい宿泊客が来るたびにこんな話を持ち出すのも、隅っこのテーブルでひとりぽつんと座る私への気遣い。もっと言うと、東洋人への訝しげな彼らの視線から私を守ってくれようとしていたのではないかと、今にしてみれば思う。

なんてったって朝食が最高

ところで、この朝食にこそ、この宿の一番の魅力がある。何がすごいって、まず中身がすごい。

イタリアの朝食といえば、普通は、カプチーノかエスプレッソに、クロワッサンにジャムが入ったデニッシュのような甘いパンで終わり。いわゆるコンチネンタル風よりもさらに質素で、ラスクのような乾燥パンにジャムだけなんて宿もたくさんある。ところが、ピヌッチャの作る朝ごはんは全く違う。

「イタリア式のシンプルな朝食はドイツ人やスイス人には受けないのよ」ピヌッチャはそう言うけれど、それにしたっていわゆるスクランブルエッグだのソーセージだのが並ぶホテルの朝食なんかとも違う。

手作りタルトやビスコッティは言わずもがな、フォカッチャにアスパラガスのキッシュ、生ハムとサラミの盛り合わせに揚げたてパン、ブルスケッタ、畑で採れたフルーツでつくったマチェドニア……。テーブルに収まりきれないくらいの家庭料理が並ぶ。


B&Bのマンマ、ピヌッチャが作ってくれた朝食

そして、大きな体格をさらに上回る大らかな人柄で、イタリア語が通じないスイス人やドイツ人とは、この世代のピエモンテ人ならではのお得意のフランス語を駆使して、果敢にコミュニケーションをとる。

それでもダメなときは身ぶり手振りのボディランゲージ。ぶっきらぼうだったドイツ人の客も気がつけば笑顔に。ピヌッチャという太陽で照らされて、いつの間にかみんながひとつの温かい空気に包まれる朝の時間、これもまた、この宿のもうひとつの名物だ。

文=山中律子

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