ビジネス

2019.01.28

デザイナー創業者独占インタビュー!エアビーの「アマゾン化計画」とは何か

(左から)ネイサン・ブレチャージク、ブライアン・チェスキー、ジョー・ゲビア


すべては「エアベッド」から始まった

本棚を2回たたくと、ジョー・ゲビアのホログラムが現れる。これはAirbnbの共同創業者であるゲビアが、会議室で披露する余興だ。本人の背後で、ホログラムのゲビアがぶつぶつと話す。

「君が立っているまさにその場所に、我々は最初の3台のエアベッドを置いた……」

それはシリコンバレーで神話的な地位を獲得し、今もなおAirbnbのアイデンティティの中核をなす創業物語だ。07年のこと、美術の名門ロードアイランド・スクール・オブ・デザインを卒業したゲビアとチェスキーは、家賃の支払いに困窮していた。

そこでデザインのある大会のためにサンフランシスコを訪れた人々を床に置いたエアベッドに泊め、料金を取ることにした。2人はウェブサイトを立ちあげようと、3人目の共同創業者となる友人、ネイサン・ブレチャージクの手を借りた。

当初は「エアベッド・アンド・ブレックファスト」と名乗ったそのスタートアップは、一夜にして成功したわけではない。創業から12カ月たっても1日の予約件数は10〜20件だったのだ。

3人は08年6月、7人のエンジェル投資家に売り込みをかけて資金調達を試みた。だが5人に拒絶され、2人からはメールを無視された。すっからかんになった創業者たちはクレジットカードをかき集め、限度額いっぱいになったものから野球カードのようにバインダーに綴じていった。最大の問題は信用だった。

「『他人=危険』という考え方をいかに打ち消すか、それが本当の戦いだった」とゲビアは言う。

創業者たちはAirbnbのホストの家に滞在し、どうすべきかを研究した。彼らは人々が相互にレーティングできる評価システムを構築。24時間対応のカスタマー・サービスも導入し、写真の質も向上させた。08年の金融危機が起こると、旅行者は予算の縮小を余儀なくされ、金欠に陥ったホストたちはいくばくかの臨時収入を稼ごうと、より積極的に「他人という危険」に挑むようになった。

Airbnbが早い段階で、「ゲストをエアベッドで寝かせ、朝食を出すこと」という要件を外すと、ほどなく、裏庭のツリーハウスからシェアハウスの空き寝室まで、あらゆるものがウェブサイトに載るようになった。掲載件数は13年までに50万件に達し、現在は500万件を超えている。

だがAirbnbは今、予想外の供給問題に直面している。原因は2つある。1つ目は、彼らの成功が資金力のあるライバルの参入を招いたこと。プライスラインやオープンテーブルを傘下に持つブッキング・ホールディングス(17年の売上高126億ドル)や、エクスペディア(同100億ドル)が、それぞれのウェブサイト上で宿泊施設としてアパートや貸別荘を推すようになった。

18年春にはブッキング・ホールディングスが民泊のカテゴリーを独立させ、掲載件数はAirbnbに匹敵する500万件に上っている。

2つ目は、地元当局が取り締まりを強化しつつあること。不動産所有者がAirbnbを利用して規制外のホテルをつくっていると告発されるケースもあれば、Airbnbが住宅不足を激化させていると非難されるケースもある。

ベルリンやサンタモニカ、サンフランシスコなどでは厳格な規制が導入され、月々の掲載件数が30%以上減少したケースもある。ニューヨークやパリAirbnbを標的にしてきたし、日本では6月の法改正によって数千件の予約を取り消さざるを得なくなった。
次ページ > 「ユニークな体験を提供したい」

文=ビズ・カーソン 写真=ジャメル・トッピン 翻訳=町田敦夫

この記事は 「Forbes JAPAN 世界を変えるデザイナー39」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事