連載「NEXT UNDER30」では、グローバルに活躍する30歳未満の経営者やアーティストをフィーチャー。昨年実施した「30 UNDER 30」特集で紹介しきれなかった、知られざる若手イノベーターたちを紹介していく。
「子供たちが80歳になったとき、多くの人に役立てる事業かどうかを指針にしてきました」
そう自身のキャリアを振り返るのは、国内外から注目を集める「ムスカ」の暫定CEO流郷綾乃。
ムスカは、イエバエを用いて有機肥料や飼料を生産、リサイクルできるシステムを提供する昆虫テック企業だ。2児の母でもある彼女に、自身の仕事に対する信念を聞いた。
──広報からキャリアをスタートさせたと聞いています。その道を志したきっかけはなんですか?
はじめから「広報の仕事をしたい」と思っていたわけではありませんでした。
私は21歳のときに長女を出産しています。シングルマザーだったので、生活のために稼がなければという思いが何より強かった。
出産後、当時住んでいた関西にある営業会社に面接を受けに行きました。コピー機やOA機器を販売している企業だったのですが、介護事業所のお客様が多いという話を聞き、「認知症予防にもなると言われているアロマを活用して、空間ビジネスをやれたらいいですね」と話したんです。
そうしたら社長も賛同してくれて、そのまま新規事業担当者として入社することになりました。
新しいサービスなのでもちろん営業もしたのですが、私、電話がとても苦手だったんです。電話を持つ手の震えが止まらないくらい苦手で。
そこで、「営業をせずともお問い合わせをいただくためには、もっとこのサービスや必要性をみんなに知ってもらう必要がある」と考えました。広報の勉強を始めたのはそこからです。
──苦手な営業をせずとも、事業を成功させるための手段として、広報を学ばれたのですね。
幸運なことに、広報に力を入れ始めてすぐに日経新聞に掲載していただきました。お陰様でお客様とのコミュニケーションも取りやすくなり、事業も回り始め、広報の面白さと必要性を実感しました。
「子どもを養っていくためにお金を稼がないといけない」と営業職を志望したにも関わらず上手くいかずに焦っていたので、「得意なものを見つけられた!」と手応えを感じられて嬉しかったです。
この経験から、「広報の力を使って事業をグロースさせていく経験をもっと積みたい」と思い、新規事業に積極的に取り組んでいるスタートアップに転職しました。
──その後フリーの広報として独立されていますが、独立しようと考えたきっかけはなんでしたか。
働いていたスタートアップの東京進出が決まったことがきっかけです。当時は関西で子育てをする予定だったので、「上京はできない」と退職しました。
その後、幸運にも数社からお声がけをいただき、ビジョンに共感した企業すべてとお仕事をしたかったので、フリーランスという働き方を選びました。独立しようと思っていたというより、共感する企業すべてとお仕事をするための手段がフリーだったんです。