言葉も世代も越えて、人生の後半に巡り会う「疑似家族」


オリンダにしょっちゅう叱られているアンヘルが、新入りのペーターに少し先輩ヅラしようとしてスベる場面が秀逸だ。なんだかんだで仲良くなった若い男二人の、身振り手振りを交えながらのボーイズトークは微笑ましい。

恋人と喧嘩しがちだった常連客の若い女性ルスは、探し人がなかなか見つからないペーターに同情して接近。言葉の壁は若干あるが、一生懸命に相手の話を聞き、自分の考えを伝えようとするルスの真剣な表情がいい。

そしてどんな場面でも、ペーターという眼鏡青年の基本的な性格の良さ、真面目さがうかがえるのも観ていて気持ちがいい。

一方、オリンダはペーターに、自分も昔ある人を追ってイタリアからアルゼンチンまでやって来たのだと遠回しに打ち明ける。おそらく彼女は、異国で相手を見失い迷子のようになった彼と、かつての自分を重ねていたのだろう。

偶然の出会いだったが同じ異邦人という境遇ゆえに、世代も言葉も違う二人の間には共感が生まれ、それは徐々に家族のような親密さへと発展していく。ルスと出かけて帰りの遅いペーターを心配し、フェデリコに電話するオリンダは、既に母親の顔だ。

他のバイトと両立できないので店を辞めると申し出たアンヘルに「代わりに誰が仕事を?」と問いただすオリンダ。「ペーターがいる」との返事に「彼は従業員じゃない!」と言った傍から「電話に出て!」と店の奥のペーターに怒鳴るところでは、思わず笑ってしまう。

堂々たる体躯にチャーミングな丸顔を顰めたオリンダが腰に手を当てて、小柄なアンヘルを見下ろしている図も面白い。もちろん同じ姿勢でのっぽのペーターを見上げるのだ。デコボコしたコミュニケーションがコミカルに描かれる。

ちょっとしたことでオリンダに八つ当たりされても穏やかな態度を崩さず、酸いも甘いも噛み分けた雰囲気が若い女にもそこそこモテてるらしいフェデリコの存在も、一連のドタバタに独特な趣きを添えている。

頑張る女に「神様がくれたプレゼント」

オリンダは新聞で、イタリアの故郷の村が震災に遭ったことを知り、心が激しく揺れ始める。どうしても一度故郷に帰りたい。それには店を閉めねばならない。思い悩む彼女にフェデリコは悔いを残すなとアドバイス。一方、ルスと恋仲になったペーターにも、けじめをつける出来事が起こっていた。

翌朝、オリンダとペーターが無言のうちに厨房に立ち、無言のうちに息を合わせてどんどん料理を作っていくさまと、その皿の彩りの鮮やかさ、豊かさに、何かが一山越えたことを観る者は知らされる。

彼女のイタリア行きを祝福するパーティにすべての人が集まった場面で、オリンダと離れることになって若干しょげているフェデリコに、ペーターはこっそりと彼を勇気づける素晴らしい光景を見せる。この二人が並んだ図はもう疑似父子と言っていい。あまりに近過ぎて改めてオリンダに求愛できなかったフェデリコは、ペーターという「息子」によって鼓舞されるのだ。

オリンダが思い切った決断をできたのは、店を任せるほどになった働き者のペーターと、何もかも打ち明けられる信頼関係で結ばれたフェデリコの存在があったからにほかならない。

頼もしい若い男と見守り型の古い男友達に後を任せ、人生の後半で大きな休みを取って望みを叶える、そしていつかは彼らの待つ場所に帰っていく。これこそ、一人で長年頑張ってきた女に神様がくれたプレゼントではないか。

そう考えた時、冒頭で、旅先のベッドに横たわったオリンダが「我が子のように愛しい子よ……」と歌を呟くシーンと、原題「Herencia」(相続、遺産)の意味することが、改めて静かな重みをもって伝わってくる。

連載 : シネマの女は最後に微笑む
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文=大野左紀子

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