ODAで招かれた外国人研修生が、日本で車を運転できない理由

2人の子供と共に豪雪の中を歩くバダムカタン・ツアカンフさん


昨年の冬は思い出すだけでも辛い。園が閉まる土日は、当時1歳と3歳の子どもたちと家に引きこもり状態になった。2日間連続で家の中に居続けると精神的に行き詰った。

出かけるとしても、行ける場所は限られる。子どもの広場がある大型ショッピングセンターに行くには、最寄りの浦佐駅まで雪のなか20分かけて歩き、1時間に1本しかない電車に乗り、15分後に六日町駅で降り、30分待って、1時間に1本しかないバスに乗り換え、10分後にたどり着く。家を出てから1時間半近くかかった。待っている間に子どもがぐずったりもした。

大雪の日に園から「お子さんが熱が出たのでお迎えお願いします」と電話がかかってきたこともあった。バダムカタンさんは大学で受講中で、大学からバスは出ているが1時間に1本しかなく、その時は40分待ちだった。タクシーに電話したら、「大雪で30分以上出せません」と言われた。仕方なく、大学の駐車場に立ち、車に乗り込もうとする大学職員に声をかけ、園まで乗せていってもらった。

JICAは留学生の生活支援を一般社団法人「国際協力センター」に委託し、同団体が留学生との生活相談窓口になっている。バダムカタンさんは「私だけじゃなく、他の留学生も何度も運転させてもらえるようお願いしてきましたが、『安全第一』としか返答をいただけません」と言う。

アフリカから長期研修生として来日し国際大に通う男性は、15年以上の運転歴がある。こども園の1歳児クラスは満杯で、2人の子どもはパートで働く妻と交代で世話をする。車で外出できないため、子どもたちは1日中動画を見続けるしかないという。「JICAは安全第一というけど、こんな豪雪地帯で小さい子どもを車なしで育てることの方が精神的に安全ではないと思います」と言う。

バダムカタンさんの夫が日本の運転免許を取得してからは生活が一変した。「それまでは檻に入れられていたような気分だったけど、夫が車を運転できるようになった檻から解放された気分だった」。苗場山や奥只見ダムなど、観光名所を巡り、田舎の生活を楽しめるようになった。

この研修制度の目的は「日本の経験や知見を学んだ研修員が、母国でトップリーダーとなり、経済・社会開発の原動力として活躍し、また親日家として日本との友好関係強化のために重要な役割を担うことが期待される」とある。しかし、公共交通機関が充実していない地方で車を運転させなければ日本の良さを知ることは難しい。研修生の中には魚沼地域に2年暮らしても「コシヒカリ」の意味を知らずに帰国する者までいる。

大学から車で30分圏内に温泉施設は15か所以上あるがほとんどが車がなければ行けない。これについてJICAは「日本理解を深めたいと考える研修員は、時間のある時に地元のイベントへの参加や電車等の公共交通を利用した日本国内の観光等を積極的に行って頂いていると理解しています」と回答した。

JICAは外国人を日本に受け入れるだけでなく、日本人を海外に派遣する事業もやっている。40歳以上の日本人を途上国へ長期に支援者として派遣する「シニア海外協力隊」は車の所有は認められ、39歳以下の「青年海外協力隊」は認められていない。「支援者」と「研修生」なので、そもそもプログラムの意図が違い、派遣先が、日本よりも交通事故が多い途上国が多いため、単純比較は難しい。

外国人の在留許可などを所管する法務省の部署が「入国管理局」という名前の様に、日本の場合、「在日外国人」=「管理の対象」という意識が先にきてしまう。

米国、ドイツ、豪州、それぞれの大使館に問い合わせたら、国費で招かれる留学生が車の運転を禁じられるという例は聞いたことがないという。多くの移民を受け入れてきた国では、外国籍住民を管理の対象ではなく、「人材」として活用するという発想があるからではないか。

インバウンド誘致など、日本では外国人の視点を政策に取り入れることが今まで以上に重要になっている。このプログラムで来日する外国人留学生の多くは、それぞれの国の中央官庁の職員で、バダムカタンさんも保健省の職員だ。

短期研修生の運転を禁ずることは仕方ないとしても、長期研修生に関しては、私たちと同じ住民として扱い、車の運転を認め、私たちの国にやってきてくれる優秀な人材を大いに活用しようではないか。

文=黒岩揺光

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