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高山医療機械製作所代表取締役社長 髙山隆志

会社の「規模」は小さくても、大きな可能性を秘めた「小さな大企業」を発掘するスモール・ジャイアンツ プロジェクト。1月25日に発売されるForbes JAPAN最新号では、SMALL GIANTS AWARD 2019で各賞に輝いた企業を特集する。

本誌に先がけて紹介するのは、脳神経外科手術で使用される手術器具を製作する「高山医療機械製作所」だ。グローバル賞を受賞した代表の髙山隆志が、18歳の時にした「世界を取りに行く」という決意は、30年を経て現実のものとなった。世界のカリスマ脳外科医たちの「パートナー」に成長した高山医療機械製作所の底力とは。


「私は30年前から『職人技を機械化して世界を取りに行く』と決めていました」 

東京の下町・台東区谷中。細い路地が複雑に入り組む住宅街の一角で、髙山隆志は自信に満ちた顔でそう語った。

髙山が社長を務める高山医療機械製作所は1905年創業。職人による凹み磨きの技術で、医療用刀剣類を製造してきた老舗だ。本社の外観は普通の住宅にしか見えないが、いまや世界の医師たちにとっては欠かせない企業に成長した。

4代目の髙山が機械化を宣言した30年前、社員は3名で年商3000万円。会社には一台の工作機械もなかったという。

「職人たちからは強い反発がありました。『技術をなめるな。お前はバカか。狂ったのか』と、散々な言われようでした」

それも無理はない。当時の日本の医療機械製作の現場は、職人技による多品種少量生産の世界。加工が難しい金属相手の手仕事は複雑な工程が多く、機械化は非現実的と思われていた。

「私は先代のもとで18歳から手仕事を学びましたが、自分は先代と同じものを作れるのか、ほかの職人を育てられるのかと不安でした。その上、職人が一人前になるまでに5〜10年はかかる。家業を継ぐと決めた時、私は『技術の伝承』という壁にぶつかり、深く悩みました」

そんな髙山は23歳の時、ドイツの工場を3カ月間視察して回る旅に出た。

「これが転機になりました。少人数での機械化が進むドイツを見て、自分も独学で機械工学の勉強をし始めたんです」

髙山は帰国後すぐにパソコンと工作機械を購入し、仕事が終わると連日深夜までパソコンに向かった。先代が作る見本品を図面に落とし込み、機械で自動工作するプログラムづくりに邁進したのだ。

「もちろん専門の工作機械はないので、すべて手探り。プログラムを何百と書いては失敗し、問題解決を繰り返しました。最終的には複雑な形の素材を固定する治具を自作するまでになりましたが、これも『モノづくり』だったんですよ」

文=畠山理仁 写真=吉澤健太

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