「もう一人のスティーブ」が語る、アップルとジョブズへの素直な思い

スティーブ・ウォズニアック


ウォズニアック:そして、ジョブズは私が何人かと一緒にやっていたMacintoshのプロジェクトを引き継ぎ、1984年に軽量で低価格なマシンとして販売しました。

ジョブズは、Macintoshはオペレーションとして全く新しいアプローチなので、Apple Ⅱと同じくらい売れると思っていました。しかし、会計ソフトがないためビジネスマンに売れず、失敗しました。かなり売上も下がりました。反省しました。

私たちは会社を救うために何をすべきか考えていましたが、ジョブズは自分のこと、Macintoshの損失をどうやって埋めるかしか考えていなかった。私たちはさらにMacintosh を売るよう努力しましたが、それでも売り上げは下がりました。

その責任としてジョブズは会社を去ることになります。初めは、代わりに当時のCEOをクビにしようと言っていました。でも、投票でジョブズが破れた。それで彼は会社を辞めたんです。

「私たちは性格も考え方も違ったが、ずっと友達だった」

藤井:ジョブズが会社を去ったことをどう思いましたか?

ウォズニアック:忠誠心がないと思いました。新しい会社を作って自分が作った会社と競合するのかと思いました。彼は人生の目標がコンピュータをつくることで、それはアップルでできないと思ったわけです。

でも、私たちはずっと友達でしたよ。性格は違ったし、誤解や行き違いもありましたが、それでも仲は良かった。彼のことを尊敬しています。



藤井:その後、ジョブズはまたアップルに戻ってきます。このころの彼はどうでしたか。

ウォズニアック:人というのは、18歳から23歳の間に人格が形成されてからは、大きく性格が変わることはありません。ですが、ジョブズは少し変わっていた。冗談やイタズラをやらなくなり、いくらか真剣になっていました。彼はいつもシリアスで、アップルの顔として見られたがっていた。

常にビジネスのことを考え、アップルを創立した頃のように楽しい話をしなくなりました。いつも誰かに評価されようとしていたジョブズは、正直言って周囲の人に失礼でした。彼の話を聞きはしますが、いつも話していたいという人物ではなかった。

なるべく良い人としか付き合いたくないというのが、私の人生哲学です。でも、彼が亡くなる直前にはよく話すようになっていましたね。

とはいえ、新しいプロダクトの機能やカラーについての彼のアイデアは、良かったですね。例えば、アップルのロゴにある6つの虹色は、とてもロジカルな色彩です。あれはジョブズが色の順番をちょっとだけ変えている。下の方に濃い色を入れて、一番上に葉っぱを入れたんです。こう聞くと大したことではないと思うかもしれませんが、これは非常に重要なことです。

那珂:デザインセンスが、ジョブズの果たした大きな貢献だったということですか?

ウォズニアック:アップルはデジタル回路設計やチップから始まった、完全にエンジニアリング主体の製品でした。でも、ジョブズはエンジニアリングのことについては詳しくなかった。

しかし、マーケティングに強かったため、どうすれば見栄えが良くなるのかを分かっていました。テクノロジーと美意識は、いまでもアップル番重要な部分だと言われていますね。
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構成=野口直希 撮影=嶺竜一

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