「もう一人のスティーブ」が語る、アップルとジョブズへの素直な思い

スティーブ・ウォズニアック


那珂:Apple Ⅱのヒットを、どのように感じましたか?

ウォズニアック:もちろん、大きな可能性を感じました。アップルはきっと大きな企業になる、とね。

この頃にはジョブズは資金調達が重要だと気づいており、色々なネットワークを駆使していました。投資家もかなりつくようになりました。もちろん、その後数年で何十億ドル規模の企業になるなんて、当時は想像できませんでしたが(笑)。

また、この頃エンジェル投資家からhpを辞めるよう勧められました。私は一生hpのエンジニアとして働くつもりでしたし、それを愛していました。

ですが、ジョブズはアップルのエンジニアになれば政治的なことやPRをせず、ずっと研究所にいてもいいと言ってくれました。それで、私はアップルのエンジニアになる決断をしたんです。

「ジョブズはいつも、誰かに評価されようとしていた」

藤井:アップルはその後どうなりましたか?

ウォズニアック:ジョブズは閉鎖的な考え方をしたんです。当時は、表計算ソフトを使えるApple Ⅱを使っていたビジネスマンがさらにソフトウェアや、メモリを大きくするためのカードも買ってくれていました。Apple Ⅱはさらに拡張することができたのに、ジョブズはそれを受け入れなかったんです。

それで1980年にApple Ⅲを発売しました。しかし、これは問題だらけでした。まず、Apple Ⅱにはたくさん入っていたソフトウェアが、 Apple Ⅲには入っていませんでした。ソフトウェアもないのにどうやって売るのでしょうか。

Apple Ⅱの互換性はありましたが、それもかなり限られていました。Apple Ⅲに搭載されたエミュレーション機能はかなり制限されていた。つまり意図的にApple Ⅱの機能を無効にして、強制的にApple Ⅲの機能を使わせようとしたんです。

このやり方はよくない。人々に新しいものを使わせたいのなら、押し付けるのではなく惹きつけるべきでしょう。だから、Apple Ⅲは失敗したんです。



ジョブズは重大な人物になろうとしていた。自分こそが創業者であると、人々に意識してほしかったんじゃないかな。

藤井:その後、有名なMacintoshが発売されますよね。

ウォズニアック:ジョブズはOSのことをわかっていなかった。彼はもっとコンピュータを安くできると考えていたが、マシンの作り方を全く把握していませんでした。私たちは2万ドルのコンピュータをつくりましたが、ジョブズはそれでは高すぎると言ってデザイナーをバカにしました。しかし、決して彼らのせいではありません。
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構成=野口直希 撮影=嶺竜一

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