「もう一人のスティーブ」が語る、アップルとジョブズへの素直な思い

スティーブ・ウォズニアック


藤井:その後、ジョブズとともにアップルを創設したんですよね。

ウォズニアック:はい。とはいえ、大学を卒業した私は、一度はヒューレット・パッカード(hp)に就職しました。けど、ずっと社外で自分のプロジェクトを続けていました。昼は仕事、夜は自分のプロジェクトというように。ほかに同僚と映画やコメディを観ることも多かったですね。何をするにせよ、楽しくないと全くやる気にならないんです。生産性以外の行動もとても大切ですよ。

ジョブズは私がつくったコンピュータを売ってお金にしてくれました。彼は本当にフリーライフな人で、ビジネスやアカデミックのバックグラウンドは全然なかった。それでもコンピュータを収益化してくれる、非常に有能なセールスマンでした。

また、2週に一度、スタンフォードの教授なども参加するコンピュータのクラブに参加しましたね。ここではどうすればより良いコミュニケーションや教育ができるのか、どのように個人がプログラムを作成できるのかなどを話していた。

クラブで自作のコンピュータを見せたこともありました。たしかアップル Ⅰの原型になったモデルも、そのひとつです。大きなパネルにスイッチとライト、数字が付いています。ちなみに、よく世間では「ジョブズもこのクラブに参加していた」といわれていますが、それは正確ではありません。私がジョブズをクラブに連れてきたんです。特にジョブズが来るまでは、私がクラブのヒーローでした。



「商売とは、人に押し付けるのではなく、人を惹きつけるべきだ」

那珂:その後、あなたたちはApple I、Apple IIを世に出すことになります。

ウォズニアック:オリジナルのコンピュータのアイデアをhpに提案したが、却下されました。そこでジョブズと一緒にアップル社を立ち上げたんです。最初の頃はhpでの労働も続け、さらによその製品をガレージで改良・販売してお金を貯めていました。

それが変わったのは、1976年にApple Ⅰを出してからですね。これである程度のまとまったお金が入り、77年のApple Ⅱは、10年も会社の収支を支え続けるほどの大ヒット商品になりました。そこから先は、皆さんが知っているような会社になりましたね。

ちなみにメディアに出ていたのは、全てマーケティング担当だったジョブズです。私はR&Dの担当です。経営に関することはみんなが足を引っ張り合うので、本当に苦手なんですよ。

那珂:なぜApple Ⅱは大ヒットしたのでしょうか?

ウォズニアック:メインフレーム(大型コンピュータ)よりも仕事に使えるパーソナルコンピュータだからですね。表計算ソフト(VisiCalc)を標準で使える唯一のコンピュータでしたから。また、拡張メモリがたくさんついていますよ。カードを追加することで、より便利にできます。
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構成=野口直希 撮影=嶺竜一

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